2019

2019年3月~ アメリカシカゴ滞在

2018

2018年3月~6月 アメリカロサンゼルス滞在

2014年8月~9月 アメリカロサンゼルス滞在

 

2017

エントリーシート 2017・9・21

 

エントリーシート

 

就活もいよいよこの秋が終われば今年も一区切り。

近年、内定率も上がり迷走する解禁日にもめげず、就活生のけなげな努力に、家族でなくとも心から応援したくなります。

 

就活中は全員がライバルであり同志でもあります。 活動初期のやる気や、何をしていいかの戸惑いと先の見えない焦り。周りと自分を比べながら、受動的に流されていく不安。

中盤の疲れや足元のぐらつきを、エントリーシートの記入や面接で自分自身への問い直しを迫られます。後半にかけての、達成感と挫折、次々に内定を取っていく他者への羨望と妬み。

この数か月の決戦は、人生の中では幾度も幾度も繰り返し経験する集中と混迷と突破の連続。しかし、達成や打開が経験できずにいると、

どうしても、自己否定が強くなり、暗闇の中に身を置く時間が長くなります。

それでも結果がどうあれ、やるだけやったと思える人は幸せだと思います。

会社から駄目出しをもらう前に、自分自身が自分を潰してしまう。 過酷な就職戦線では、徹底的に自分と向き合い、他人と比べるのではなく社会や地域、時代の中で自分がどのように考え、生きてきたかを整理して自分自身を売り出すマネージャーとなり、プロデューサーでもあり、プランナーでもあるのです。

何しろ、「この人と一緒に働きたい、うちで働いてもらいたい」と思わせなければいけないのですから、客観的自己分析はどうしても必要になります。

経験が少ないのは、可能性の大きさにつながるし、知識量の不足は明確な課題として挙げられる。それは、若さの利点です。 それよりも、柔軟性や情熱の欠如のほうが余程不利に写ります。

業界、企業研究分析から始まって自己分析をしながら、インターンシップ、会社説明会、ES、試験、面接と1年以上の月日をかけた戦いに疲弊して、投げだしたくなるかもしれませんが、必要とされていない人間などこの世にないのです。

誰一人として、無駄な人はいません。 会社に選ばれなかったのではなく、あなたが会社を選ばなかったのです。 

どうしても、どうしても、その会社で働きたいと思うなら、ずっと前から準備しリサーチを重ね、コネを探し、勉強をし、必要な資格を取っていたはずなのです。

世界中の誰よりも、詳しく、熱い情熱を持っていたら望んだ企業に受かるはず。受からないとしたら、上回る人がいたに過ぎない。ただ単に、少し足らなかっただけで、否定されたわけではなく、足らないところがあると教えてくれただけです。内定が取れなくて、落ち込むのは当たり前です。 でも、人生は長く楽しみに満ちています。

泣いて落ち込んで、嫌な圧迫をかけてきた面接官の悪口は、バスタブの中に全部吐き捨てて、流してしまえばよいのです。

お風呂できれいになったら、力強い強気のあなたが鏡の中にきっと見つかるはずです。 

そんなあなたを必要としている人を、長く待たせてはいけませんもの。 ぐっすり眠って、ピカピカのあなたを見せて下さい。

 

 

 

 

 

 

不倫     2017・9・21

 

 

不倫

 

久しぶりのブログなので、テーマを決めかねていましたが、このところやたら巷を賑わし、色々な場所で格好のネタになっている「不倫」について、改めて考えてみました。

 

 

倫理を犯す、人の道に外れ道徳を犯す。これがいわゆる男女間の不倫なのでしょうが、これだとまるで、救いようのない非道な人間に写ります。

この男女間で起こる道に外れた行為は、一線を越えるか越えないかで話題にもなりましたが、要はベッドを共にするかどうかが不倫の線引きと取りあえずは捉えているようです。

本当にそうなのでしょうか。 一般的に分かりやすいからこの性行為をその区別のラインとしているのでしょうが、例えば人とメイクラブするのは簡単だが、精神を共有し愛を預けることは出来ないという人だっています。このような価値観を持っている人にとっては、既婚者でありながら、パートナー以外と見つめあい、その人の事ばかりを始終考え案じ、愛を心の中で密かに育む方が、余程人の道に外れた反道徳的な精神の不倫になるはず。肉体的なプラトニックは何ら意味を持たないのだから。

配偶者が傍にいても、まったく気遣う様子も、気に留め慈しむ心も無いが、夫婦であるという理由だけで、空っぽな肉体を相手に明け渡し

表向きは従順に堪えるフリをする、が心はずっと遠くにある。 それでも、肉体関係を持たれるより余程良いと思うのでしょうか。

きっと、それはそれで虚しさを互いに抱えるようになり、不満とストレスで文句を言い始めるのでしょう。

動物的には非常に自然な異性との生殖行為が、いったん文明という火を手にしてしまい、不倫という名前を付けると、理性と社会通念、秩序、貞操観念、不道徳、家族への裏切り、良心の呵責などなど、

自分を責め、社会から責められ、はじき出されがんじがらめになり、何と人間は不自由なのだろうかとも思えます。

知性、文化、秩序、複雑な社会構造の構築がなされていくと、ルールの中で自由を見出していかなければならないのも、自然な流れなのかもしれません。

 

誰にも知られず秘め事を続けるには、あまりにも観衆が多くなり、全ての人々が特ダネを狙い、ネットを使って発信する力を持っている現在では、多くの人はガラス越しの生活を強いられる。ましてや有名、著名人にプライベートもプライバシーもあったものではない。

さて、それでも倫理に反した行為をしてしまうのは、理性の一線を越える感情の発露や情熱、欲望があるからなのでしょう。

それにしても、不可解なのは女性の社会における地位が高くなり、男性と少しづつ肩を並べるようになったことを喜んでいるのに、

かつて男性がしていたように、女性が不倫をすると同性が酷く不快をあらわすのは何故なのでしょう。

もともと、女性の性が異性の裏切りを嫌うのは、子育てをしているときなら、非常に不利な状態に追い込まれ、自分と我が子の生活が脅かされる可能性が高くなるからなのは、容易に想像でき、理解できます。

しかし、地位の高い男性の愛人報道をほんの数十年前までは、結構寛容な態度で受け止めてきた女性たちも、こと自分たちと同じ女性が禁を犯すと、その潔癖な気質が頭をもたげてくる。女性の敵は女性になるのです。 これも長い間培われた、女性教育の「賜物」と受け取るべきなのでしょうか。

 

男性にとっても妻の浮気は己のDNAを残す目的からすると、非常にリスキー。自分以外の遺伝子を持った人間の子供を、それと知らずに育ててしまう可能性が大きくなるので、浮気性の女性は男性からすれば、一見魅力的に見えても家庭を持って子供を育てるとなれば、二の足を踏んでしまうでしょう。

 

より文明が進化した、現代社会においては、互いに信頼を得るための「清廉潔白な証拠」を見せ続けなければならないようです。

 

2016年 ブログ

美しい人     2016・1・29

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたにとって、この世で最も美しい人は誰なのでしょう?

 

こんな質問を受けたら、訊かれた人それぞれの答えが返ってくるのではないでしょうか。

 

人は美くしさのセンス、好み、構築してきた歴史が違うので十人十色の美のイメージがあると思います。

有名無名を問わず美男美女はこの世に沢山いるでしょう。 しかし、全ての人が100%美しいと感じ、魅力的と感じる人間はいないと思います。

人の好みや美意識と言うのは千差万別、近しい感覚はあっても指紋のようにどれ一つとして同じものはないと思うからです。

 

それぞれが作り出す理想の美貌の人。 それは、その人が培ってきた美への感覚、こだわりが作り出す、想像の産物ですから自分の理想がそのまま現実になるのは非常に稀で、まして出会うのは奇跡と言っていいのではないでしょうか。 

また、人は我儘ですから仮に理想が現実になったとしても、それでもどこかしらに欠点を見つけ出してしまうものです。

つまりは、理想は理想のままで持っていたい願望もあるからでしょう。 叶わぬ夢も持っていたいのです。

 

小さな頃、私が初めて見つけた美しい男性はアラン・ドロンでした。 1960年~1980年代にかけて、ハンサムの代名詞として映画界で活躍したフランスの名優は、特に日本で人気があったように思います。

1960年~70年代は、フランス映画、イタリア映画、北欧の映画を今よりも多く紹介していましたし、良い作品が多くありました。 丁度小学生から高校生の多感な時期に俳優アラン・ドロンは人気のピークを迎え大活躍をしていたわけです。

来日した折には、TV番組にも出演し大勢の女性が歓喜の悲鳴を上げていたのをブラウン管越しに見ていました。

それ以前、つまり幼稚園から小学校低学年の私のアイドルはクラーク・ゲーブルでしたから、大分若返ったわけですが、ゲーブルはワイルドだけれどキュートでセクシーな大人の男性で、ドロンとは随分キャラクターが違っています。

私は、ゲーブルの中に理想の父親を見ていたわけで、物凄い美男で圧倒されそうなくらい怪しげな、しかもちっとも信頼出来そうもない、何処か美しすぎて歪な印象さえ醸し出すドロンは、中々好きにはなれませんでした。

それでも、その顔の作り、スタイルの良さ(身長は181cm~184cmとあります。)美しく流れる少しウエーブのかかった髪、長い指、セクシーなフランス語の響き。 彼に対して如何にも美男だけど、スカしたいやらしいハンサムと皮肉を言ったとしても、

「美しい」事実を認めるのは、殆どの人が吝かではないはずです。 嫉妬と悔しさで認められない、という偏屈の負けず嫌いは別として。

未だに、彼以上の美しい男性を見つけられません。 毎年アイドルもスターもモデルも世界中で誕生しているのに、ドロンと比べるとどれも役不足、綺麗さでは彼の足元にも及ばないと思ってしまうのですから、小さい頃の印象と言うのは相当根強く揺るぎないものなのでしょう。

 

でも、そんな「美男」に拘りのある私でも、最近は「声」が持つ圧倒的な魅力とその声が作り出すイマジネーションの力に驚かされ魅了されているのです。

 

美しい人はヴィジュアルとして空想し自分で創造できますが、声を想像し自分で再現するのは非常に困難です。ましてや、想像上の声を自分の耳で聞くことなど出来ません。

ですから、声だけは既にある誰かの声に心地よいと感じたり、何て美しいとうっとりしたり、セクシーな囁きにとろけたりするしかないのです。

そこで、美男美女の吹替えの声優さん達に注目すると、流石にその声と演技力の素晴らしさに圧倒されてしまうのです。 

時には吹替えがあまりにもイメージとピッタリで、声で演じる凄さに引き込まれ、オリジナルの俳優の悪声を後で知ってガッカリする事もしばしば。

声に恋するのは、想像力のなせる業。声の本人がどんな人なのかは関係なく、その声で作り出す想像上の人物こそ理想になって行くのです。

自分のお気に入りの漫画やアニメ、小説のキャラクターが実写版になった時の虚しさと落胆は酷い物で、一度たりとも満足した作品に出会えないのは、映像はどんなに優れていても結局想像で創り出した観客の願望を満足させられないのでしょう。

それに対して、声は観る側も大まかな空想しか設計出来ないので、不満に思う可能性が低いのではないでしょうか。 だから、アニメーションの声はすんなり受け入れられるし、その声があって更に人物は生き生きと物語の中で息づき、観る側を感動させてくれるのです。

 

アラン・ドロンの吹替えと言うと、私にとっては野沢那智さん。 野沢さん以外でも吹替えていましたが、一度野沢さんで聴いてしまうとそれ以外はどうにも受け付けない。

それは、刑事コロンボの小池朝雄さん同様もう、一度愛した声意外は、耳も体も受け付けないのです。 

 

声のイメージは非常に大切で、時にはその声だけが元気づけたり心地よく酔わせてくれたりもしてくれるのです。

声優人気は私が野沢さんの声を追いかけて、ラジオやアニメを観ていた頃とは比べ物にならない程で、当時は考えられませんでしたが、若い人達の憧れの職業となっているのは、アニメ人気だけでなく、声優そのものの魅力を考えればむべなるかなと言わざるを得ないのです。

因みに、キュートでエレガントのアイコンとして未だに人気が絶えないオードリー・ヘプバーンの吹替えは池田昌子さんが有名で、私にとってもヘプバーンは池田さんです。 やはり、池田さん以外では受け入れ難い。

中学生の頃は年中池田さんの言い方を真似て一人悦に入っていたものでした。

 

最近はドラマCDを聴いて、更に声優という職業のプロフェッショナル力と奥深さに興味を持ちすっかりハマっています。

有名な声優さんのイベントでのファンの盛り上がりを見ると、アイドル顔負けの人気に圧倒されてしまいますが、今頃やっとその素晴らしさに気付かされた私にもお気に入りの「声」があり、今年は、ファンイベントにも是非参加したいと手ぐすね引いて計画を立てているところです。

 

話し方や声に注目すると、人を引き付ける力は思った以上に強く、十分人を惹きつけて止まないはず。 それならば、プロが教えてくれる美男美女の声や話し方を研究して、自分なりにトライしてみるのも楽しいのではないでしょうか。

 

Kill me softly with your voice. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年 幕が開いて

 

 

2016年の新しき年を迎え、皆様にとって素晴らしき年となる事を心よりお祈り申し上げます。

 

新年を迎える度にそれぞれの思いや願いを胸に抱き、この一年がより多くの人にとって幸福に満ち、不幸や不運、災害から距離を置いて過ごしたいと殆どの人々が願っていると思います。

それでも、天災も人災も容赦なく日々訪れその試練に耐え、乗り越えなければならないのもまた、誰もが知っている世の倣い。

避けられないのであれば、どう乗り切っていくか如何に早くその暗闇から脱出するかが生きる質を高める上で重要になってくるはずです。

まだ来ぬ不運に思い悩み、今を生きられないことこそ不幸だとしたら、自ら作り出す不幸こそ遠ざけるべきなのでしょう。

 

私も、今日を生きている、それこそが成功なのだと思って、蔑にしてしまいそうな「当たり前」に感謝をしていきたいと、改めて感じています。

 

どうか皆様にとって、今年も良き出会いと希望の光に満ちていく一年となりますようお祈りいたします。

 

2015年 ブログ

依存と自立   9・06

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

依存と自立

 

巷では、2020オリンピックの話題で喧しく、あちこちから綻びが出始めいくら取り繕ってもどうにもならない程の無謀な計画と無能さが露呈しています。

几帳面で、完璧を求める国民にしては、本当にあまりのお粗末さの意外な結果と期待外れに驚いてしまいます。 この杜撰さに、アテネオリンピック後のギリシャ財政危機を多くの人が重ね合わせてしまうのは、当然でしょう。 2004年のアテネ五輪は、開催日を過ぎても工事がずれ込み「さすが、ギリシャ。のんびりしているが、きっと神々が一夜にして

会場を作り上げるのだろう。」と揶揄していたものだが、日本とて他人事ではない。そして、オリンピック開催地のその後の恐ろしいほど荒んだ跡地は、目を覆うばかり。

既存の施設を使わない政治的理由を癒着や選挙票の獲得と考えるのは難しい事ではないし、実際は闇の中にもっと多くの理由があるのでしょう。 元々は国立競技場を改築し40年前の東京五輪の建物を再利用する、最も現代らしい無駄のないお金のかからないオリンピック開催が目玉だったはず。既にあるスタジアムに仮設部分を増設すれば十分な施設があるにもかかわらず、新たな建築を強行するのは誰も納得がいかない。オリンピックまでのイニシャルコスト、終了後のランニングコスト。想像しただけで恐ろしい数字をはじき出す。 そして更に噴出したエンブレム問題。 もうこれに関しては、ネット上であまりにも弄られ過ぎて聞くのも語るのもうんざり。

 

このような結果を生み出した原因は一つや二つではないとは思いますが、やはりどちらも組織、個人ともに依存体質があったからだと思うのです。

五輪組織委員会は責任の所在をうやむやにし、名前は大層立派でも責任を取れるだけの知識と経験を持ったプロフェショナルのプロデューサーは存在せず、専門家はホンの一握り。その一握りの代表も逃げ腰となると、この素人集団はこの数年間、一体何をしてきたのだろう。少なくとも会長はこの責任をきっちり取るべきでした。

この2年間に組織の脆弱性に危惧し、運営は困難だという危機意識くらいは持てたはず。 だって、委員の名前は本当に立派で信頼されるべき社会的地位の高い人ばかり。この人たちの能力をもってしたら、その位の予測はできたはずです。 正直この名前を並べる為に一体いくら払っているのかも気になるところ。

招致から決定までに時間が経過し、政権交代があったとはいえ東京五輪の理念として引き継ぐべき重要な事は、あった。 翻弄され最終責任は税金を支払う事で一般国民が負わされる。運営も不安だらけなのだから、国民も都民も全く納得がいかないでしょう。

この依存体質は一体いつから始まったのでしょう。 会社や組織の名前が全面に出てくると、大切なことは不透明になりがち。この五輪の組織委員会の会議内容を詳しく知っている一般人はほとんどいないでしょう。 これから透明性をもって運営していくと言っているのであれば、折角ネット上に無料動画サイトがあるのだから、エンブレム決定だけではなく、24時間体制で五輪組織委会議の様子を流し続けたらいいと思うのです。これは国会も同様。24時間いつでも国会中継を再生できるようにすれば、早くから政治に触れることができます。選挙権を18歳に与える以前に、若者の政府や政治に対する興味を高め、知識を蓄積すれば、自ずと選挙への参加も増えるはずです。最も、それを快く思わない政治家もいるのかもしれませんがね。

さて、そのネット上で炎上しているのが先に述べたエンブレム。 これもネット上のデザインに依存し、それが習慣となったが為に起こった残念な結果。

しかし、発覚後の似たもの探しのネット上「重箱の隅つつき」は、誰でも気軽に参加できるゲームの様相を呈し、もうお腹一杯となったところで、ゲームオーバー。

でも、このゲームのやり方を政治家に向けたらその言動のあやふやさはパクリ問題より嘆かわしいはず。 もっとも、ネットを十分に駆使したから安保法制反対デモに10万人以上が集まったのですが。(しかし、あのデモは最近の日本では見られなかった明確な意志表示でした。大変な交通渋滞でしたが、新しい組織の動きを感じました。)

私も大分ネットに依存し、ネットを使わない日は無いし、使えなくなってしまったらそれこそネットロスで、暫くはダメージを受けてしまう事は必至。 この中毒性の依存は恐ろしくも止められない。

ネットからの自立は、非常に難しい。自分の目と耳と足で情報を集めてくるのは、範囲が狭いし時間がかかる。 しかし、行動すると違う見方が出来るのも事実。 ネット上のマップで矢印の方向に歩いてみるのと実際の土地に行って、歩き回るのとでは全く違う様に、五感を駆使して人や街、自然に触れるのはインターネットの中では味わえないダイナミックさがあります。これが、自立への第一歩なのでしょう。自分で歩いてみる、自分で考えてみる。人のブログやウィキペディアには載っていない感触を手に入れる。

すっかり依存し続けた私も、少しずつ自立の道を辿ってみたいと思っています。

そういえば、前都知事も「ダイナミック」と叫んでいましたっけ。

 

 

 

新たな一歩   4・18

 

セクシャルハラスメントについては、以前に書いたことがありますが、今日ではこのハラスメントと言う言葉は日常の中に馴染んでしまって、

会話の中に当たり前のように出てくる言葉になっています。

 

モラル、セクシャル、パワーとカテゴリーはあるにせよハラスメント要するに、いじめ、嫌がらせをすることに関しての定義付けはとても個人的であり、言葉や行動だけのルールで決める事は出来ません。

受ける側、言われた側、された側が「不快だ。ショックだ。傷つけられた。」と感じればハラスメントになるでしょう。

ハラスメントについて語るとき、いつも話題に上る事ですが、同じことでも違う人がするとそれは、ハラスメントどころか、時に「快感、快楽、悦楽」に繋がる事だって、十分にあり得るのです。

コンピューターに拒否する文字を入れ込むように、これを言ったら「ハラスメント」に当たるというような単純なものではないのが、厄介な所です。

 

「壁ドン」が流行しましたが、これを好きな相手や思い人、憧れの人からされたのであれば、喜びのパニックに身を委ねる事も可能でしょう。

昔から行われてきたこの行動範囲抑圧術は、愛する人からされるから胸がキュンと来るのです。 

間近に見る彼の顔と(男性が壁ドンをする側とした場合)、見られることの恥ずかしさ、次の行動への期待が高まる演出なわけですが、さて、現実的には一体誰がこんな技を使っているというのでしょう。

既に、メディアで使い古されてしまい映画やドラマの中でさえ陳腐で、笑いが起きてしまいそうです。 実際にやったらパロディにしか見えません。

 

まともな男性が、女性に対していくら流行だからと言ってドンドンする訳もないのです。

これを、仮にメディアに乗せられてやってしまったとすれば、軽率この上ない行為といえます。

相手との信頼関係を計るための言葉遣いや行動は、いつだって勘違いや誤解を生むのは当たり前です。だからこそ、慎重であるべきだし、相手を尊重することが大切になってくるのです。

意思の疎通を図りたければ、相手の望むことを探り出す努力と能力が必要です。

 

夫婦間では、四六時中一緒に居るから、ついつい甘えが出たり思いやりに欠ける言動が増えるのは、仲良くなって気を許している証拠でもありますから、仕方のないことと言えば仕方ないのでしょう。

それでも、以前は許し合えていたことも、時が経てば許せなくなったりもする。 結局は他人ですから、どんなに長く暮らしても、気を遣わざるを得ないのも当たり前でもあります。そのバランスをどうとっていくか、互いに距離を上手く調整できるかは、それぞれが自分を律していけるかどうかに、その答えがあるように思えます。。

さらには、しっかりと相手に自分の思いを伝える努力を続けるのも長く付き合うコツなのかもしれません。

 

長寿になり、今までにないくらい、長く夫婦生活を営むという新たな挑戦をしているのですから、そのやり方は先人の教えだけでは間に合わない。

ここは、自分たちで知恵を出し合って、生きていく事の意味を問うていかなければ、人生のパートナーとしての意味を見失ってしまうかもしれません。

「愛は強く、大きく、永久に持ち続けられる」と考えるのを、一時のロマンと思っているのは皮肉屋の私だけでは無いと思います。

 

 

友人で居たいなら、距離は保ち続けなければならないし、恋人になりたいならばリスクは背負わなければならない。愛し合いたいのであれば、互いに学ばなければならないのです。

人とつながりたいと思うのは人間の本能ですが、心地よい、スマートなつながり方を見つけ出すには、トレーニングが必要なのです。

最初は格好悪く、叱られ、嫌われたりすることも多々あるでしょう。 

でも、それを恐れてリスクを取らないと今度は自分の枠が広がって行かず、誰とも繋がれない、心地よい距離を見いだせない。

 

皆に優しくする必要はないし、誰からも好かれる必要もない。 

ただし、自分らしく生きていくには、身勝手な「ありのまま」ではいられず、「私の全てをそのまま受け入れて欲しい」と言う欲求を持つならば、それに見合った、学びと努力を同時に自分にも課す必要があります。

他人と共生するには常に、選択する必要があるし、決断を避ける事はできません。

 

傷つくことを恐れて、決断を先延ばしにしても、逃れられないのは分かっています。

 

さて、新しい環境の中に足を一歩踏み出したこの4月。

ハラスメントをする方にも、される方にもならない、凛とした決断と勇気が学べる良いチャンス。

燃え尽きたりせず、先ずはこの3か月を乗り切って自分の枠が広がる事を確認してみて下さい。

小さな成長がきっと達成感と自信を運んできてくれます。 これが、大切な未来への種まきとなるはずなのです。

どうか、自分を信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しき年を迎え、皆様に新年のご挨拶を申し上げます。

皆様にとって、2015年が更に飛躍と喜びの年となる事を心よりお祈り申し上げます。

それぞれの思いと願いが豊かに実り、木々をゆらせる日が来ること、

その収穫の喜びが 誰の手にも訪れる事を願っております。

 

 

I wish you a year filled with peace, good health and happiness.

2014    ブログ

愛、アムール

 

 

今年も押し迫ってきて、世間では年末と突然の解散選挙で忙しさに拍車がかかり、日々慌ただしく追われるように過ごしています。 と言っても、私に関してはあてはまらないのですが。 子供達も手を離れ、自立しつつあり、親としてできる事はさして多くありません。 子供の心配事も、年を追うごとに少なくなり、子のことよりむしろ自分の体の心配をする事の方が、割合としては大きくなってきているのです。 今となれば、子育てに追われていたことを懐かしく愛しい日々であったと思えます。それほど余裕が出来たというわけです。 そんな事もあって、最近観た映画に「愛、アムール」「クロワッサンで朝食を」「アンコール」と、老後三部作とも言えそうな死に真正面から対峙する老人たちの映画を選んでみました。 要するに、自分にもやっと老いると言う事と死ぬと言う事を、受け入れられる時がやってきたと言う事だと思います。 準備する勇気と言ってもいいかもしれません。 両親を看取り、友人や同年代の人たちの訃報に言葉を失いながらも、やがては自分にも訪れる自然の節理を当然のこととして受け入れたいと思っているのです。 ただ、これは恰好をつけた言い方で、本当は恐れのシュミレーションをして、少しでも恐怖と落ち込を軽減しようと浅はかに企んでいるわけです。 「愛、アムール」は病が徐々に進行していく音楽家の妻を介護し支えようとする夫。  豊かな老後を楽しむ高齢の夫婦が死に至るまでの毎日を、ほぼ高級アパルトマン内だけのシーンで進む物語です。監督がM.ハネケ、主演にJ.L.トランティニャン、E.リヴァ。娘役がE.ユペール。 カンヌで賞を得た作品だけに観る楽しみと、内容の先入観から何度か手にとっては、後回しにしてきた映画です。 しかし、観ておいてよかった。 今の私は、ユペール扮する娘のエヴァの立場でもあり、介護される妻の立場であり介護する夫の立場でもあるのです。 子供の時は、理想を語るだけのエゴイストだったり、介護される側に回れば依存を潔しとしない残されたプライドをぶつける気高き、面倒な老人である。  介護することに自分の全存在の意義を見出す夫の、共依存の喜びの追求。 どの立場にも共感出来、今だからこそ深い理解が出来ると思えるのです。 もう少し齢を経て、今度は歩くこともままならなくなった時にまたこの映画を観たいと思う。 残り少ない生への欲望と執着。人間としての擦り切れたプライドを一体老人の私はどのように感じるのでしょう。  以前トークカフェを開いた時に遊びにいらした90歳の女性の言葉を思い出さずにはいられません。「何が一番悲しいかと言うと、人の面倒を見てあげる事が出来なくなったことよ。」 

 

依存される喜びを知っている人の言葉です。

独占欲

あまり知らない、1,2度会っただけの人物から非常にラフなメールを送られてきたりすると、驚いて戸惑い、これは私宛のメールなのだろうかと訝しく思い、また、不快を感じたりもします。

 

他人との距離の取り方は、その人それぞれであるし、許容されるか、不快に感じられるかもまたそれぞれ。

心地よい付き合いや距離を保つのはとても難しい事です。

 

職場間でも、上司でも気安く話しかけられる人もいれば、同期入社であろうと上下関係をしっかり求めてくる人もいる。

男女間でも、直ぐに打ち解けあうことが出来る相手と何年たっても、一定の距離を持たないと付き合えない人もいる。

家族でさえ、意思の疎通が上手くいく相手と時期があるでしょう。長年同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べ続けているにもかかわらず、どうしても分かり合う事が出来ない事だってある。

 

「わたくし」と言う、個性のある人間が存在する以上、相手により、タイミングにより、場所により、環境により他人との付き合いは、変化し制限される。

誤解し理解し合い、和解しまた、距離を計る。 

自分以外の人間がいる限り、生涯を通して繰り返されていく他者とのバランスと舵取り。 馬が合う相性がいいと言ってもそれも、一時の事であり、生涯を通して同じ気持ちで居続けることは、奇跡のような状態と存在だと思います。

 

私たちは愛されることを望み、受け入れられる事を望みますが、それは出会う人全てに要求しているわけではないはず。 だからこそ、好きになった人に執着を持つのは理解できます。

しかし、それ故に、罪を犯してしまう事さえある。 相手が遠のいていく事が恐ろしく、嫌われることは受け入れ難く、最終的にはどんな手段を使ってでも自分一人のモノにしたいと願う、非常に独善的、エゴイステックな独りよがりの愛。誰の心の中にもほんの少しは存在するであろうこの身勝手な愛し方は、他の人間へ向けられた愛や執着ではなく、全て、どこまでも満足することのできない自分自身が「愛されること」への希求。

それは、悲しく恐ろしい。

 

愛してくれ!と叫ぶなら、愛しているのか!と自分自身に問わなければならない。 私は、私を十分に愛しているのかと。

 

 

 

 

男という事、女という事    05・02

 

 最近は男性的という言葉がさほど良い意味を持たなくなってきたのかもしれません。

その、漠然とした言葉も人それぞれの捉え方で、全く違うのでしょう。

考え方が真っ直ぐでシンプル、潔くて、力強く、小さなことにクヨクヨせず、いつも遠い未来に希望と夢を馳せている。

そのくせ、女性の前に出ると滅法恥ずかしがりで、政治や自国の未来について饒舌だったのがウソのように、沈黙してしまう。

随分と古いイメージと思われるでしょうが、私が覚えている昭和の男らしさとはこんな印象があります。使い古しのドラマの主人公。ステレオタイプと言ってもいいでしょう。

それを静かに、優しく見守る才色兼備の妻や恋人。こんな人たちが昭和初期の映画やTVドラマには沢山出ていたようです。 当時の男性は多少横暴なところや野蛮なところがあっても、社会的に男性というだけで、ある程度の地位と権利が確保されていたわけですから、男尊女卑は別段特別の事でもなかったろうし、ある程度の乱暴さは時には男性的な好ましさとして、受け入れられていたと思います。

これは、日本だけではなく、社会が成熟していくプロセスとして男社会での蛮行は今のように目くじらを立てるほどの事もなかったし、ある意味おおらかと言えなくもないでしょう。

日本がグローバル化を目指し、他国との文化交流が盛んになり、国際社会での共通のマナーの一つとして、男性のエレガントさも求められ、「レディファースト」を実践するようになる。

それまで、3歩下がって後ろを歩く存在だった女性が、土間での食事から明るいダイニングキッチンのテーブルで主役となり、あらゆる職業に就き男性社会の競争にもまれながらも台頭し、成功を勝ち得ていく。

長い年月をかけて、女性の地位向上、権利の獲得の為に男性に道を譲る事も訴え、その成果の一つに多種多様の職業選択もあるのでしょう。

だから、それは女性だけの戦いではなく、男性の後押しも無論絶対必要だったと思います。

 

成熟すると、競争は男女間でも起きて、今度はレディーファーストはむしろ差別に繋がると考える人も出てくるほど、互いの存在は拮抗し急激に変化してきます。

さて、それでは男も女も同じかと言えば決してそんなことはない。 

あらゆる文化を驚くほどの速さで受け入れている日本ですが、未だに若く美しい、可愛らしい女性に対しての好奇の目と興味は全く変わっていないと思うのです。

若い女性研究者が発表した論文に多くの疑問がある事が発覚すると、まさに蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていますが、研究とは全く関係のない事への興味やあきれ果てるような記者会見での質問も、仕事なのだからと多少の同情はするものの、悲しくなります。

だいたい、研究者の私生活など正直どうでもいいのです。ほとんどの人たちが知りたかったのは、壁の色や割烹着の事ではなく研究の真偽だったはず。

とはいえ、若く可愛い女性でなかったら、高齢のおじいさんだったら、おばあさんだったら、どうみても美しいとは言い難い人々だったら、興味も随分と違っていたし、雑誌の売れ行きも半分以下だったことでしょう。

若々しい美男の研究者だったら、そりゃ女性の熱い視線は集まったかもしれないけれど、あんなにもえげつない憶測で騒ぎ立てることは無かったと思うのです。

若い女性が罪作りなのか、特別の色眼鏡で見てしまう周りが幼稚なのか。 何れにせよ、この男性社会で女性が抜きんでていくと言う事は、女である、その性からは決して逃れられず、それも含めての実力でなくてはならないのだと、改めて感じてしまうのです。 願わくば、かの研究者が思わぬどんでん返しで、多様性の緑色に発光する細胞を、多くの人々の前で作り出すことが出来たら、どんなにかすっきりするだろうと思ってしまうのは、私だけではないはず。 

好奇の目に晒され、ゴシップに揉まれてもなお、堂々と目指す道を見続けてほしいのです。

しなやかにそして、強かにその道を貫いてほしいと願うのです。

 

 

記憶と想像力    3・18

 

 

その人は、妖精と呼ばれ忘れることの出来ない笑顔を残していった。

42年前の札幌に、タートルネックの赤い衣装と、金色のショートカットヘアーをなびかせて、美しい歯並びの妖精は日本中を虜にした。

ジャネット・リン。アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ生まれ。 

 

当時小学生だった私が最初に熱中したフィギュアスケーターでした。アジアそして日本における初めての冬季オリンピック開催で日本中が冬の札幌に熱い視線を送っていました。その熱狂は、オリンピック独特の「自国愛」を意識する競技大会であり、祭りであり、国家の威信をかけての戦いだったように思います。 

今よりももっと「国のために戦う」事が当然とされつつも、メダルの獲得が非常に難しかった時代です。 

 

オリンピックは国を超えたスポーツの祭典であり、政治とは切り離して純粋にアスリートたちが競い合い、互いの高い技術や努力を称えあう場、でもあります。 しかしながら、現実的には政治的であり、国家間の問題は直ぐに反映され、ボイコットや不参加運動が過激になれば、大きな被害を生むこともあったのです。

 

 表向きには見えてこない経済的取引もあるでしょう。スポンサ―の多さと運営資金の大きさから、虚実入り混じった情報も飛び交い、ピュアでシンプルなアスリートの競技大会とは、言い難い面も想像できます。

 

しかしながら、ダークな部分があったとしても、なお、選手達の日頃の血の滲むような努力と培ってきた技術、精神力の強靭さに何ら変わりはなく、

うごめく怪しげな関係者が、どんなに薄汚くとも、自分勝手な馬鹿げた物言いは、却って彼ら、彼女らの素晴らしさを浮き彫りにするようです。

 

42年前のフィギュアスケートシングル女子の金メダリストが誰かはまったく知らない。(実際は、オーストリアのベアトリクス・シューバ)しかしながら、銅メダルを獲得したジャネット・リンは、多くの人の記憶に焼きつけられ、その後TVで放送されたカルピスのCMも鮮やかに思い出されます。なんと言うインパクト。

彼女のその輝くような美しい、何とも愛らしい笑顔と華麗なスケーティング、尻餅をついてしまったことさえ、愛すべき記憶となって忘れることができません。

当時の日本人には想像もつかない、遠いイリノイ州からやってきた「恋人」は、数十年のちまで極東の小さな島、日本で愛される存在となることなど、思いもしなかったでしょう。

 

そして、今、新しい私たちの「妖精」は彼女の中にある「理想のスケーティング」を見つめ続けて、やはり遠い国、ロシアのソチで花を咲かせてくれたのです。

 

浅田真央、この名前を一体どうやって忘れられるというのでしょう。 彼女が重ねてきたその絶え間ない努力と挫折。 恐ろしいほどの忍耐と全てを包み込む笑顔の力。

公人としての役割を果たせない想像力の欠如した人間にさえ、その寛容さを惜しまなかった。

意地悪この上ないマスメディアにさえ愛される努力の天才は、私たちの記憶に深く深く刻まれ、真摯に現実と向かい合う生き方の美しさを教えてくれています。 

 

しかし、時に私たちは残酷です。感動的な物語を他人に求め、そこから少しでも外れると、今度は容赦ない仕打ちを繰り返します。群衆の名もなき一人として、石を投げても大勢の人に紛れてしまえば、分からぬように。 

スター(善)を欲すると同様にヒール(悪)も必要なのです。

 

 

想像しなければなりません。

私たちの犠牲になるその人が、自分の大切な人でないと何故言えるのでしょう。

いつでも、自分だけは被害者にも加害者にもならないと、どんな理由を持って言い切れるのでしょう。

何の考えもなしに馬鹿な事を自分が言わない保障が、どこにあるのでしょう。

 

常に、過去は教えてくれています。その鮮烈な物語や美しさで。

同時に、悲しいほど虚しい無配慮や間違った決断による、悲劇の記憶で。

 

愚かさと賢さ、美しさと醜さの狭間を何度も行き来しながら、自分がすべきことを、探していく。それが、生きる意味なのかもしれません。

 

 

 

             2013   ブログ

迷い             12・6

 

あれもしたい、これもしたい。 あれが欲しい、これも欲しい。 

興味や欲求に振り回され、結局何が好きで、何を求め、どうなりたいのかが見えなくなってしまう時があります。

つきつめて考えれば、欲しているものの実態は実にシンプルで、本質的なものだったりします。

 

自分は一体どうしたいのか。どんな人間になりたいのか。どんな生き方をしたいのか。

深く考え、悩み、つまづき、答えを出せずまた、迷う。 苦しい時期でもありますが、この時こそ成長のチャンス。 

逃げたり、誰かに委ねたりせず、正面から問題や悩み、辛さ、現実と向かい合うことで、自分自身の枠を広げる事が出来る、絶好の機会がやって来たわけで、まさに幸運とも言うべきものです。

 

人生は、自分の思い通りにいかない事が多い。 いかないことの方が圧倒的に多いのかもしれません。 だからこそ、挑戦のし甲斐もあるし、挑戦した事への達成感も大きいでしょう。

つまづきのない人生などあり得ないし、迷いや悩みの無い人などいない。 落ち込んでいる時は、つい考えが偏り、自分だけが苦しんでいるように感じて、孤独から脱出出来ない時もあります。

でも、それもとことん闘ってしまえば、過ぎた時には、一回り大きくなって過去の自分が幼く見え、問題は思ったほど大きくも怖れる程でもなかったと、思えるのです。

乗越える事が出来さえすれば。

 

人は、繊細で、弱く、脆い。 しかし、生きる事に意義を見出し、生きる喜びを実感すると強く、たくましく、賢くなっていきます。 いか様にも変わり成長し、進化出来るのです。

 

人には、困難を乗り越えて行ける力が、誰にも備わっているのです。 あとは、その力を信じて、小さくてもいいから一歩を踏み出してみるだけなのです。 自分の足で。

 

 

システム            9・22

愛とは不思議なものです。 与えれば与える程増えていく。 

 

今日最終回を迎えた、超人気ドラマ「半沢直樹」ならずとも、こんなお金の運用方法があるのであれば、是非とも知りたいはずです。

 

愛の貯金は、自分の中に貯め込むのではなく、いかにして他人のために使うかによって増えて行きます。 倍返しがやってくるのは、与えた人のみです。

愛を与えると、倍になって預金高は増え、だからこそまた、与えたくなる。 

自分のために何かをするよりも、自分以外の人からの感謝の方が、幸せを感じるのはこの貯愛システムがあるから。

 

いかがでしょう、当銀行のやり方を試してみませんか。 一年後には、驚くほどの愛情貯金ができます。どうか、このシステムをお知り合いの方にも、教えてあげて下さい。

周りの方々が全てリッチなセレブになる事、請け合いです。

 

与える事の喜びを知っている人間だけが、与えられる事の感謝を知る。

 

 

もてなす           9・21

お・も・て・な・し

 

流暢なフランス語と美しい笑顔、心を込めた感動的なプレゼンテーションと共に、「お・も・て・な・し」の言葉があちこちで取り上げられ、日本文化の深さと心配り、思いやりを一言で表す印象に残るスピーチは、オリンピック誘致に十分な効果があったようです。 

 

もてなすとは、 人を取り扱う。待遇する。あしらう。心をこめて客の世話をする。饗応する。馳走(ちそう)する。 などと説明されています。

英語では、Japanese way of hospitalityと紹介されているようです。

もてなしの心は、あらゆるところで発揮されます。

料理の材料や色合い、飾りつけに季節を表し、盛り付け皿は素材が美しく美味しそうに見えるように工夫されるのは勿論の事、箸置き一つにも楽しめるように意匠を凝らし、自然や風物ユーモアを映り込ませる。

 

例えば、伝統的な着物は柄や生地に季節をうつし表し描く。 着る本人は勿論の事、それを見る人をも楽しませるため、着ることでの「もてなし」を演出する。

何とエレガントで繊細な遊び心であり、流行の創造でしょう。

人は、もてなされた事により、安らぎや新鮮さを感じ、喜びと愛されている事大切にされている事への感謝に満たされます。

誰かをもてなす、この事に心配りをし、もてなされている人を想像し、如何に喜ばそうかと楽しめむ。 それこそが人と深くつながり信頼を築く手掛かりとなるでしょう。

プレイボーイと言われ続けた人が、やっと年貢を納め、選ばれた女性への称賛と評価は、彼女がいかにそのモテ男の事を慈しみ、喜ばそうと心を砕いたかのエピソードが漏れ伝わるごとに、高くなっていきます。

いづれにせよ、どうやって喜ばそうかと、心から楽しみ喜びながらもてなす人を、愛さないわけにはいかないでしょう。

 

闘う

 

 

 

 


ハラスメントと言う言葉を知ったのは、1980年代半ばでした。当時勤務していた会社で、アメリカのセクシャルハラスメント裁判が話題になり「性差別」あるいは「性的嫌がらせ」と言う意味だと知りました。その当時は、100%男性から女性に対する差別的言動で、言葉遣いや嫌がらせ、無理強い、体に触れる事だと理解しました。 その後、日本でも多くのセクシャルハラスメント裁判が起こされ、その認知度は一気に高まった記憶があります。セクハラと言う言葉は知らなくても、それに類する行為は、特に社会に出てから、女性はごく当たり前のように大人の洗礼のごとく嫌という程思い知らされます。今の様に、男性がこの言葉に対して脅威を感じ、戦々恐々とする時代が来るなどとは、20代のOLだった当時は全く想像もできませんでした。 コピーを取っている最中にお尻を撫でられたり、必死で仕事をしている時に、後ろから肩を揉まれたり、勝手に髪に触られたりと、今考えるとよくもまあ、やりたい放題を当時の男性はしていたものだと呆れてしまいますが、女性はひたすら耐える事を強いられていたと思います。 せいぜい出来る事と言えば、トイレで人知れず泣いたり、同僚の女子と悪口を言いながら、早死にするのを心の底から祈ったりしていたものです。 言葉の暴力は、もっとひどかったかもしれません。 「これだから、女は困る」なんていうのは、ましな方で、恋人、結婚、ナイトライフ、下着、スリーサイズ、胸の大きさなどうんざりするような質問や冷やかしが日常でした。散々「言葉」で遊んだ後は、「まっ、若いから今のうちに遊んでるんでしょ。年取ったら、誰も相手にしてくれないからね」「売れるうちに、誰かに貰って貰わないとね」と全くもって失礼極まりない言葉で締めくくったりもしていたものです。 今であれば、「セクハラになりますよ」と脅しの一つも言えたのでしょうが、先輩や上司からのからかいを真に受けて大人げないと思われるのも嫌だし、取りあえずは物わかりの良い女子社員でいた方が楽だったのかもしれません。 評判も気にしました。 いまだに思い出すと苦いものがこみ上げてきます。 ハラスメントは、やる側にとってはちょっとした冗談や、些細な事、時には親愛の情のつもりだと言う輩もいて、個人的な感覚はひどくかけ離れ、簡単には解決出来ない事の様にも思えます。過剰に反応したいわけでは無く、嫌がらせや差別を受ける側の立場に一度でも立って見れば、自分の行為がどんな感情を生むのかを知る事が出来るはず。 本来なら同様の事を体験してみる方が、手っ取り早く理解しあえるかもしれません。ハラスメントは、職場内では勿論の事学校内、家族間、インターネットの中でも常に起こりうる言葉や行為です。 地位を利用し、権力を笠に着ての振舞いは醜いし、結局は自分の首を絞めることになります。 人として、全うに生きる事は簡単ではないかもしれませんが、その努力が生きる事の価値を見せてくれます。 

しかし、嫌がらせをする人間とはしっかり対峙しておいた方が、私は良いと思います。 いづれは良い方向に自然と進むのではないかと、期待をしてもまず解決しないのが世の常。 自分自身に起きている不快と理不尽な攻撃からは、自分自身が闘い、身を守るしかないと思うのです。けなげさや忍耐強さだけでは解決できない事があります。 

その時に、如何にして戦うかが非常に大切になってきます。 同じ土俵に立つのではなく、「頭とセンス」を駆使して、尊重される権利を勝ちとって欲しいと思います。 遣り方は、次回のお楽しみに。

リアルな話し             5・27

 

 

 

 

「現実と鏡は私に厳しいから、見ない事にしているの!!」これは、お笑いでよくつかわれる台詞です。 出来れば厳しい現実から逃れたい事は沢山あります。 私自身肉体的、能力的衰えを感じながら何とかその日をやり過ごしているわけですが、置かれている環境も含めると心配ごとは絶えません。 高齢の母の事、同様に高齢の義父母。 離れて暮らす子ども達の事、夫婦間の感覚のギャップ、経済的不安定、これからやって来るであろう更に加速する老いと病気。 考え出したらきりがないくらい現実は厳しいものです。 しかし、現実を楽しめることも沢山あります。年を取って鈍ったセンスのお陰で、酷く落ち込まなくても良くなったり、若い頃は下心丸見えのお誘いにどう対応したらいいか、悩み抜いた事から今はすっかり解放され、気に障る「おばさん」やもっとひどい差別的な呼び方に対抗する、ずうずうしさも身に付け、力が無い事を理由に肉体労働からの除外。 競争相手を出し抜く為のあらゆる美への追及と努力からの脱落及び解放。 

現実を受け入れると、以外にもパラダイスが見えてきたりします。年を取った女は、醜く何の価値も無いと教えられたことを一つ一つ覆して行く心地良さ。 経験と知恵を身につけて歩み始めると、心の荷は軽くなる事も知った訳です。女性が30歳を過ぎると、合コンのお誘いがなくなり、35歳を過ぎると親戚からの見合い話も途絶えがち。 男性は、これに5歳足した年齢で同様の事を感じる様です。 子孫を残したければ、女性の年齢にはリミットはあります。 それは現実。 でも、もし仮に子どもが産めなかったとしても、幸福から遠ざかるわけではない事も事実。 ハンサムな長身の男性に注目が集まるのは現実。 でも、それだけで一生を楽しく生きられるわけではないのは事実。 いかにリアルを楽しめるかが、人生の醍醐味かもしれませんね。 

鏡の前の現実のあなたは、笑っていますか?

アウトサイド              5・10


セミナーやカウンセリングで見た目や第一印象の大切さを話すと「着飾ること」が大切と勘違いされてしまわないかと、危惧する事もあります。しかし、本質の意味を理解していなかったとしても、「着飾ること」と誤解したとしても、結局のところさして問題が無い事は次第にわかってきます。

仮に見た目を飾ることにエネルギーを費やして、その事に熱中したとしても自分自身に興味を持ち、ファッションやコスメ、髪型や香りに興味を持つことは自身の感覚を磨き、外側と内側からのバランスを客観性を持って見てみるのは非常に大切な経験となります。 センスの善悪しが大切と言うよりは、むしろ知識としての蓄積、趣味や文化に対する造詣を深める為のきっかけとなれば良いのではないでしょうか? 

例えばいきなり、クラシックバレエに興味を持ったり、舞台を観に行ったりするのはハードルが高いかもしれませんが、舞台の上で使われている衣装が、如何に美しく見えるか、ライン、フォルム、光に反射する時の色の変化や着映え。 美術として見ても奥が深く興味もわきます。 歌舞伎においても、独特の「くまどり」の意味合いと効果、着物の柄とその意味、色合わせの特徴。 言い出したらきりがない程、細部にいたるまで美の表現、探求の結果が見て取れます。 映画においても同様に、見た目、ファッション、メイクアップ、所作、話し方、ヘアースタイル、会話、全てが時代を反映していますし、経済の影響を受け、風習、慣習、立場、地位、年齢とありとあらゆる事が表現されています。
多くの人は、自分の内側を見て欲しい、本来の自分を愛して欲しい、受け入れて欲しいと願っているでしょう。 しかし時折、あまりに内面を主張するあまり、外面をおろそかにしてしまったり、主観的に生きる習慣が強すぎて逆に自分を見失いそうになっている方を見かけます。

季節とは合わないチグハグな服を着て、サイズもばらばら、髪を整えることもなく、汚れたシャツの襟に気付く様子もない。 これは、自分自身では無く、他に強い注意を払っているからかもしれません。 時にはそんな時期も必要でしょうが、外面も内面も全てを含めて一人の人間。 

もし、本当に「自分」を知ってほしいのであれば、外側を受け入れてもらうことから始めてみてはいかがでしょうか? そして、外見こそがあなたの内面を物語ってくれている事を忘れないでほしいと思います。

 

 

 

捨てる覚悟              4・24

 

何が問題なんだろう?私のどこがいけないの?僕の何が気に入らないんだ?

関係が上手く行かない。他人と居て心地良くない。良い関係が続かない。

嫌われる。好かれない。

 

 

人の悩みは尽きないものです。 人とのコミュニケーションが取れない時は苦しく、特に良い関係を築きたいと思っている人と、上手に意思の疎通が取れない時の苛立ちやもどかしさは、自信喪失にもつながります。 それは、ごく身近な家族間でも、職場でも起こりえる状態です。 解決方法はあるのに、具体的に何をしていいか分からず結局自分への言い訳や相手のネガティブポイントを探すことで何とか溜飲を下げたり、「我慢する」という美徳を選択するしか術が無く、飲み込んだ鉛が蓄積して行くような思いを味わうかもしれません。 我慢も一つの方法であはりますが、解決ではありません。 ましてや、悪口や陰口で解決はあり得ないでしょうし、残念な事に他人を変えたり、自分にとって都合の良い方に勝手に変わってくれることは、皆無です。 新しい出会いの中にも、同様の事は言えます。 習慣や考え方は中々変える事は出来ません。 周りの人に変わってもらうことも出来ないのです。 そして、不快、不満、不安の感情はいつまでたっても解消されない訳です。 その、解決の大切なカギを見つけ出せるまでは。 問題解決にはやり方、知識が必要なのですが、知らなければいつまでたっても自分の小さな経験の檻の中に閉じ込められた囚人となるのです。 東京造形大学学長の入学式での式辞が感動を呼びましたが、全ての人が、囚われてしまう「経験」の罠でもあるのです。 経験だけに頼り、社会的常識を教育の基本として育てられたとしたら、自らの学びは新しい教育と知識を取り入れて行く事で、その選択が非常に大切になってきます。

 「何かを得るためには、何かを捨てる」この法則が分かっていないと、何一つ達成感を味わうことが出来ず、満たされない欲望のストレスに苛まれるでしょう。 新たな知識は、時には知っている事を一度捨てる覚悟をしなければならないかもしれません。

「可笑しくもないのに、歯を見せて笑うな」と言われて育った人間が、暗く冷たい人と受け取られることの苦しみを、誰も解決してはくれません。 本人以外は。 

毎週開催しているカフェスタイルのコミュニケーションの場やカウンセリング、お食事会は大変盛況で、これから更に形を変え、新しくいろいろな事に挑戦して行きたいと思っています。

私自身も、経験の牢獄に閉じ込められているかもしれません。 しかし、たとえ「囚人」となっても少なくとも行動する囚人でありたいのです。


「あなたが想像できることしか、実現しません。あなたが、想像できることは、実現します。 意思よりも想像する力を鍛錬すべきなのです。」 

 

 

トークカフェ、kokoroカフェの予約をお受けしておりますので、メールでご連絡下さい。

 

シンデレラのガラスの靴      3・20


苦境に立たされた者の強み、例えば・・・・・
継母と異母姉妹にいじめられていたシンデレラを救ったのは魔法使いのお婆さんでした。
行ってみたいと強く願っていたお城の舞踏会に出る為の準備を全て整えてくれ、美しいシンデレラの溢れんばかりの輝きと、圧倒的な魅力をパーティの招待客に見せつけ、玉の輿を虎視眈々と狙っていたライバル達を蹴散らします。 優しくはあっても、だらしなく不甲斐ない父親への不満と鬱屈の日々から救い出してくれたわけです。 魔法使いの力を借りて、自分の魅力を最大限に引き出せる一発勝負の舞台へ躍り出たのです。 

シンデレラは当然の事ながら、良家の子女としての教養とエレガンス、社交術、会話能力、伝統的な美しい所作、見事なダンス、ポージング、魅惑的な発声法等を身につけていたはずですし、この場で王子を陥落出来なかったら、二度とチャンスは巡ってこないと理解していますから、他の候補者のイモ娘達がのんびりと構えている中、ハングリー精神「半端無い」勢いで獲物である王子を捕らえたはずです。意地悪をする小賢しさには長けていた姉達も、所詮は醜女の悲しさ、王子には相手にされず敗北するわけですが、何より見事だったのは12時に急ぎ足でパーティ会場から一目散に何も言わず去って行く事。 そして、あの「ガラスの靴」(実際にはミュール型スリッパ)をしっかりとお城に残してきた事です。 これは、着物に焚き染めたお香の残り香、部屋に忘れていった「本」の役割を果たしてくれるわけです。 心にフックを掛け「忘れ難い人」になるやり方は、言葉や行動、物、香りといろいろあります。 特別の人になるには気遣い、心遣い、言葉遣い、物遣いが大切になってきます。 余韻を残す存在感と言ってもいいでしょう。 

 

今週末には、独身者対象の出会いの為のパーティが開かれますが、参加者の方々はどんな「ガラスの靴」を用意していらっしゃるのでしょうか? それは、あなたらしく、あなたを思い出させるものである事がポイントになるでしょう。 もし、何も思いつかないのであれば、今すぐ鏡に向かって最高の笑顔を自分の為に映しだす事をお勧めします。 それは、きっと誰かの心を掴んで離さない「ガラスの靴」になってくれるはずです。

ところで、12時に切れるはずの魔法。 何故ガラスの靴だけはそのままだったのでしょうか? あれは、魔法使いのおばあさんの贈り物だったという説が有力なのですが・・・・  私も皆さんに、解けない魔法をかける事にしましょうか。

ヌーディスト村で生きる、としたら? 「トークカフェ」話の旅  2・25

たとえば、ヌーディスト村で暮らすとしたら。

 

そんな質問をされたら何と答えますか? 
自分の日常には起こり得そうもない事、文化の違い、風土、習慣、モラル、宗教、人種、性差、鬱、自殺、生きると言う意味、生きる事の価値、老い。自由にテーマを決めず、思った事、思いついた事を語るだけの気軽で、勝手気ままなトークカフェを始めてから半年以上が過ぎました。 全く想像もしなかった濃厚な時間の流れと好奇心を刺激され、次から次へと疑問や考えが湧きでてきて、それはそれは刺激的でワクワクする場所となりました。カフェでのトークは、水が気ままに流れるように、風が目的を持たずに旅するように何処に流れてたどり着くのかは分かりません。 ヌーディスト村で暮らす事になったら?貨幣経済をやめるとしたら、それに代わるものは?世界大統領を作るとしたら、なれる条件は?老いてからの存在価値は?環境や文化の違いが価値観、選択、表現の違いを生んで行く事を改めて考えたり、想像してみたり。 日本の中の一地方で暮らし、自分の考え方や習慣、概念、道徳、規則といった日常として慣れた「常識」の中での生活は、暮らしやすい半面慣れ親しんでいる事で、排他的にもしくは固定観念に支配されがちです。 でも、他の人々の力や能力を借りて、自分自身の固まった頭を柔らかくする事で、新たな考えや空想に胸躍らせる事が出来るのです。 この事は自分自身にとっても、とても新鮮で発見出来たことに、達成感にも似た喜びを味わえます。ヌーディスト村での暮らしが現実となれば、一体どんな日常があるのでしょう。 恥ずかしいという感覚も、人との付き合い方も、価値観も、日用品も、性犯罪も全てが変わってくる事でしょう。  実際に暮らす事は無いとしても、その想像の愉快な事。見知らぬ国、土地での暮らしはいかなるものかを考えてみるだけでも、脳は刺激されドキドキし、どこまでも空想と想像の翼を広げるでしょう。 そして、その会話を一緒に楽しめる「誰か」がいてくれる事の幸福。 人生はたった一度きり。 どれだけ多くの人と触れあえるか、その実感が持てるかが生きる醍醐味のように思えます。


時には、異邦人として生きる自分を想像してみるのも、楽しいものです。


新年明けまして、おめでとうございます。

2013年、どのような年が始まるのでしょうか。昨年は、国際情勢のおいても、国内に於いても多くの問題を孕み、未だ解決の道は遠く世界的な不況から逃れる事は出来ずにいます。

不安定な政情をふまえても、未来への懸念を拭い去ることは難しく、これから社会に出ていこうとする人たちにとっても決して平らな道のりでは無いように思います。しかし、そこに希望が見いだせない訳ではありません。 苦難を乗り越えて次への歩みを踏み出す力を、十分すぎるほど私たちは持っているのです。

 

2011年の未曾有の大災害に多くの不幸と悲しみ、苦悩を抱きつつ、それでも勇気のある選択をし続けています。 

生きるという事。 

復興するという事。 

助け合うという事。 

そこには、深く強い情と知性の絆が結ばれている事を感じ、決して他人事では無く、常に我が身に起こっている事でもあると、理解出来たのです。 そうして、そこには今までにない決断と実行が必要でした。 また、それは多くの人々が協力しなければ決して成し得ない事であると、上辺だけでは無い切実さを持って知る事が出来たのです。

 

幕は上がっています。 歩むべき道は、見えています。 踏みしめる一歩を楽しみながら、未来を切り拓いて行きましょう。 かつて一度も、全ての道が閉ざされた事が無かったように、必ず光射すと信じて。

 

新しき年が、皆様にとって素晴らしい年となります事を心よりお祈り申し上げます。

 

 

                                               早苗美幸

             2012   ブログ

幸福の学び

5%、31%、35%、50%、60%。
この数字は、ここ数回のイベントでのカップル成立率の推移です。 2008年から、始めた結婚を希望する人たちのための出会いの場の演出、企画でしたが、最初の頃はマッチングをしていませんでしたので、統計を取ることはできませんでした。 

カップリングを始めてからも、全く同じ企画をしているのでイベントの内容によって成立数が高くなってきたというわけではないと思います。 それでは、何が成立を高めているのか?と考えると、ここ数回の企画と、以前のものとの明らかな違いは一つだけです。 以前は、イベント参加のみだったのですが、最近は必ずイベントの前にセミナーを受けていただくことが条件となっていることです。

何度かパーティや交流会を開くうちに、半日時間を費やしても一言も誰とも話すこともできずに、連絡を取る手段を得ることもなく場を後にする多くの人たちを見送りながら、コミュニケーションを学ぶことが大切であることを切実に感じました。そこに集まった人達は基本的に、新しい出会いを期待して参加しているわけです。 もし、気になる人が見つからなかったにせよ、パーティのあいだ中、もしくはバスの移動中、ともに料理を作り食事をする間、何の挨拶も言葉を交わすこともせずに、ただすれ違うだけの人たち。
一体何故なのだろう、何一つアクションを起こさない理由は?何のためにここに来たのだろう?行動を起こさない彼ら、彼女らはどんな事を本来は望んでいたのだろう?

知らない異性と意思の疎通を図ることに消極的な、恥ずかしがりの集団というだけなのだろうか。 そして、何が彼らの恐れなのだろう? 肩を落として家路につくことが望みだったわけではないはずである。 
結婚を望む独身者のための場を演出することを目的として、企画、プロデュースを始めたきっかけは、コミュニケーションを学ぶ事の必要性を若い人たちに感じていたからです。 他人に対する興味と自分に対する興味の希薄さを見るについけ、私なりの危機感を抱いていたのです。 

実際、私自身も他人との距離を上手に取れず、あるいは話すことに疲れたりと、決してコミュニケーションがスムーズでは無かった事もあり、パーティの場で戸惑う人たちの気持ちは分かっているつもりでした。 ただ、勝気さと寂しがりがある意味自分から行動を起こすことを苦にせずにいられたのかもしれません。

人が行動を起こすときには何らかの理由があるはずです。  食べていくために働く、好奇心の求めるままに学ぶ。 子供を育てるために、忍耐強くなる。 好きな人のために、綺麗になる。 誰かを見返すために、努力する。 どんな理由でも、行動のきっかけは大切な部分。 でも、決して大げさで偉大な決断である必要もないと思うのです。単純にその時、時間があったから誘いに乗ったり、ほんのちょっとの好奇心で集まりに顔を出してみたり。 たまたま、近くを通ったから挨拶に寄ってみたり。 

ただ、同様に行動を起こさない理由もあるはずです。 過去の経験に囚われて、悪い想像に左右されたり、自信が無くて押し止まったり。 今の居心地の良さから抜け出したくないと、現状維持に固執したり。
成功者や偉人と言われる人たちの殆どが、挑戦する事、変化を恐れない事を説いています。 その言葉を頼りに、小さな挑戦を繰り返して、参加者と一緒にセミナーを通して学びを深めてきました。 それが、数字として現れたと思えば嬉しい限りですが、本来の目的である「幸福」への鍵を手渡したわけではありません。 例えカップルになれたとしても、その後付き合う確率、更に互いの家族を紹介し合って、結婚を前提に付き合いを深める確率、そして結婚を決意し式を挙げ入籍し、新たな家族となるまでの確立は、驚くほど少なくなります。 互いが成長し合いながら受け入れて生活まで共にする事の意味。 お付き合いや、結婚はそのプロセスでしかないのです。 その事を伝え続けて、どれだけ伝わっているのかは、残念ながら数字に表す事は出来ません。 ただ、少なくとも食事を共にしたり、映画を見たり、一緒に遊んだり、笑ったり、泣いたり。 そんな経験が無い所から、二人の生活のスタートは切れないでしょう。 どんな夫婦にも知合うきっかけが何かあったはずです。

 

互いの事を学び、受け止め、許し、受け入れる。 日々試される挑戦を、日々続ける事が「幸福」への道標のような気が致します。例え恐ろしくても、飛んで欲しい。 広げた翼は案外大きく、力強いのです。 

こころの声

先週、セミナーを終えてつくづく感じている事は、人は人とつながっていたい、関わりを持ってほしい、理解してもらいたいのだということです。 ただし、それは自分自身にとって心地良い関わりでありつながりの意味です。 理解して欲しいと願いながら、他人を自分同様に理解しようと努力しているかどうかは別問題。 総じて言えば、自分勝手な関わり方とつながりかたであり、しかし一方で、それはとても健全だとも思う訳です。 

 

ところが、問題はこの「自分勝手」の表現の仕方を間違えてしまうと、つながるどころか一人ぼっちの寂しさを味う事になり、理解されない事に悩み苦しむことになる。 
自分と他人は全く違うもので、自分自身の事さえ分かっていないのに、その事を認識しないまま他人の自分に対する理解度が低い、分かってもらえないと嘆く。 ジョハリの窓を例に、自分自身のイメージと他人からのイメージの違いについてのワークもしましたが、どんなワークも、もし心が閉じた状態ならば気付きはとても小さくなるという事。 
コミュニケーションの取り方がとても不器用で、しかも繊細だったりすると本当に小さな事(他から見れば)でも、大きく傷ついてしまい孤独を長く味わうことになる。 解決方法はあるけれど、聴く耳がなかったり、その余裕が無かったりと、それぞれの理由で、うまくいかない現状を抱え込んでいたりもする。 

 

時には怖れや不信から解き放たれて、見えなかった自分(Blind self)を探し出すのも、人生の扉を開く大きな手掛かりとなるはずです。 
プラットホームカフェ(トークカフェ)は、私にとっても扉を開く為の貴重な時間と空間であり、体験です。 心の中に光を当てる為にも是非、遊びにいらして下さい。 

 

 

感情   8・21

中々書けなかった事がありました。理由は、いろいろで最初の頃は整理が付かなかったから。 時が経つにつれて、苦しさや現実との対峙が避けられ無いと分かると、今度はそれを受け入れる事に踏ん切りと勇気が無くて自分自身で納得するのに沢山の理由付けが必要になり、更に複雑な感情の中に放り出されたと感じていたからです。  
今でもその不安や漠然とした理不尽さへの憎しみが心を占める事があるのですが、これも時が経つにつれて変化し、冷静に違った側面から受け入れられるようにもなっています。 
  
数ヶ月前、私は自分の生まれた家を焼かれてしまいました。 書類上は「不審火」となりますが、いわゆる放火です。 犯人が現行犯で見つからない限り、実際は放火という言葉も使えないようです。どちらにせよ、私自身が育った全ての記録と思い出は灰となって何処にも無くなってしまった事に変わりはありません。 いづれはそこに住もうと思い、大切に手入れをしていた矢先の災難でしたから、最初はショックよりも現実として受け入れる事が出来ず、事務的な手続きをひたすら終わらせる事に集中し、いつの間にか月日が経っていたと言うのが正直な感想です。 火事から数カ月の間、何をしていたのかも思い出せないし、思いっきり泣いた記憶もありません。 今でも、それは変わらずにありますが。ただ、火事の現場にいる時に、消防車から噴き出す水や、すっかり何もかも燃えつくし、残った黒くなった柱からいつまでも立ち上る煙を、寒さに震えながら見つめて「これでもまだ、幸せなのかもしれない」と漠然と思っていたのは、別に「良い人」だからではなく、昨年起きた大震災が、ずっと頭の中にその時ですら消えることなくあったからです。  
これは、とても残酷で、酷い感情であるのは分かっていますが、あの苦しみに比べたらどんな事も申し訳なくて、悲しんでいられないと「人の不幸」の上に自分の幸運を引き寄せたわけです。そうして、何ヶ月かの間私は何とか、立派に仕事をしているフリが出来たのです。 犯人を同じ目にあわせてやりたいと思う憎しみを閉じ込めて。 一生許せない、会う事もないであろう、「その人間」が死ぬときは必ず不幸で激痛の中で息を引き取ればいいと願っている事を隠しながら。でもその忌むべき感情は、綻びからいとも簡単に侵入し、車を運転している時に、眠ろうとする一瞬の隙間にザワザワと落ちつかず、穏やかな日常を呆気なく覆し、鉛を飲み込んだように重くしてしまいます。 
  
今日という日が無事に過ぎ、何とかやり過ごせたと安堵した時に、また、少しづつ分かってきた事もあります。 失くしたものは戻ってこないけれど、「私には失くすものがあった」事の幸福、「与えられたものが多くあった」からこその失った悲しみを知ることが出来た。不遜と言われればそうかもしれませんが、乗越えるまでのもがく時間が大切だということも、わかってきた事なのです。

受け入れる事      7・29

誰にも、心を許せない。


人と一緒にいる事に疲れてしまう人の漏らした言葉です。
相談を受ける時の多くは、コミュニケーションを取るのがとても苦手で、人にどのように伝えたらよいのか、人との接し方が分からないと、悩みを打ち明けます。
伝えたい事はあるのだが、他人と向き合うと途端に緊張してしまい、考えていた事が上手くいえず余計な事を言って相手を不快にさせたり、険悪なムードを作ってしまったり。
別に、相手が直接そう言った訳ではないのに、本人は自分の言った事で場の空気を悪くし、相手に嫌われたと感じていたりもします。 もちろん、その場で指摘されることもあるでしょうが、勝手に解釈している事も多々あるはずです。
思い込みから、自分で傷ついてしまい、誤解された事を長く悔やんでいる事もあるでしょう。 どちらにせよ、自分自身と他人との距離の取り方や、自分の立ち位置をしっかりと確認する事は簡単な事ではありません。
自分以外の人と一緒にいると疲れてしまう人、更には、1人でいてもくつろげない人、精神的には大変なストレスでしょう。 自分を受け入れる事が出来なければ、いつだって神経は苛立ち、認めてくれる何かを際限なく、休みなく求め続けているのですから、安らげる瞬間がいつまでたってもやってこないはずです。 しかも、悲しい事にリラックス出来ないと言う事は、本音をさらけ出せず、本来の自分を封じ込め、「いい人、良い子」を演じ続けなければいられないのです。 

そうする事で、何とか人と居る事のバランスをたもっているわけです。
心を許せないのは、相手に原因があって信用出来ないからではなく、自分が信頼できないから。 

この孤独が、一体いつから始まったのか、ふり返る必要があるのです。 自分を何故信用できないのか、ちゃんと理由があるはずです。 

ふり返って、客観的に自分を見つめる事は、時には大変な勇気がいります。
でも、解決出来る事もあるのです。 

生きてきた現実を受け入れる、認めたくない事、逃げていた事に向き合う。 そうする事で今まで起きた、全ての事は現在の「わたし」を作り上げているのだと分かり、その存在全てが愛しむべきものである事にきっと気づくはずです。 完璧じゃないこと自体が素晴らしいのだと。

 

2012年

7月

20日

那須バスツアー 

那須のバスツアーは、カップル成立が50%と、正直脅威的な数字でした。

手前みそで恐縮ではありますが、一つには男性のセミナーを続けて来て4年目になり成果が出てきた事、成婚に繋がったているのも参加者の信頼を得ている事、セミナーに参加して行くことで、男性同士が交流を持てる事、「楽しかった、カップルになって恋人ができた」と言う結果が友達を紹介し、新たな出会いの場や新しい人達がどんどん参加している、という事につながっていると思います。
当日(15日)、那須は大変な込み合いで予定の場所を回る事が出来ず、サンバレーホテルのバイキングとチーズガーデンでの休憩、道の駅を回って後はひたすら渋滞のバスの中でのゲームや映画鑑賞、フリートークに時間が費やされ帰りの時間も夜の8時30分。つまり12時間以上ぴったり一緒にいた事になります。
これが、功を奏したのかもしれませんが、逆に言えばこれだけ一緒にいても、上手くコミュニケーションが取れなかったとしたら、やはりもう一度自分自身と向き合う事から始めないと、同じ事がこれからもいろいろな場所で、何度も繰り返す事になるでしょう。 全ての原因は自分にある。 もし、居心地が悪いと感じれば、それは自分の中にある何らかの感情を受け入れていくことでずっと楽になるのです。 自分の感情、自分の性格、生まれ育ちを受け入れる事が出来てくると、自分以外の人達を受入れ、心地良い居場所を見つけ出せる。その事が、こういった他人との交流の場で明らかになり、確かめられるのです。
自分を受け入れている分しか他人を受け入れられない。 その事は、愛する事と同じ。自分を愛している人間は他人にも十分に愛を注げるものです。
立ち止まり、ふり返り、受け入れて、前に進む。 上手く行かない、生きづらいと感じている時に、自分の為に使う時間を、こんな風に過ごしてみて欲しいのです。 

自分を愛せない、それは悪い事でも、ダメな事でもない。 ただ、その事実、その事を受け入れてほしいと思うのです。

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2012年

5月

04日

さびしい理由 ~女性編~

寂しさを感じる時はいろんな場面で、抱える感情でそれぞれの理由がありますが、男性の感じる寂しさと女性とでは違いがあります。 女性の場合その大きな理由に理解してもらえない、共感してもらえない事による孤独感が大きいと思います。
例えば、何か嫌な事、辛い事があってもその事について話を聞いてくれたり、一緒にうなずいてくれたりする相手がいれば、孤独感から遠ざかることが出来ます。 しかし、例え一番近しい家族であっても、この「共感」と「理解」がなければ取り残された孤独を味わうことになります。 それは、男性と違って評価されることで癒されたり、褒められることでは満たされない感情なのです。
もちろん、「立派だ、偉い、良くやった」と言われることは嬉しいことに違いありませんが、それよりも「大変だったね。良く耐えたね。あなたの気持ち、良くわかる。」と言われた方が心は安らぐのです。
女性にとって寂しいと感じるのは、近くにいても一緒にいる感じが全くしない、心が一つになる感じが、感覚が無いということ、なのです。 それは、男性にとっての自分を認めてもらえない、評価してもらえない、存在の不安と言った事と同じ辛さ、寂しさなのです。 
男性が女性から「あなたは、私を全然分かっていない!」と言われた時は、ほとんどに於いて相槌の打ち方を間違っていると言っていいと思います。
正しい答えを出そうと、理論的な意見を述べたり、理路整然と説明したり、数字の裏ずけ、他の場合との比較など女性が必要としていない、もっと言えば聞きたくもない事を訳知り顔で言ったりしている場合が多いのです。 女性にとってこれほど苦痛で、イライラし、孤独を増し、不信感と相手に対する蔑みを増す瞬間はありません。 うっとりと美しい夕日を愛でているのに、光の波長とプリズムの話を滔々と述べて、悦にいっているような場違い、勘違いを感じるわけです。
良く女性同士の会話がはずんでいる時に「そうそう、やっぱりぃ、私もそう思った。その通りだよねぇ。」などと言い合っている場面を見かけると思いますが、男性にこれが出来れば、パートナーの孤独を救ってあげることにつながるのです。
共感していなくても、「共感テクニック」を駆使すれば、離れていきそうな彼女の心を食い止め、家庭内別居を決意した妻の意思を鈍らせる事も、可能かもしれません。
もちろん、女性言葉を使う必要はありませんがね。

 

 


 

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2012年

4月

22日

さびしい理由 ~おじさま編~

人は群れる本能があるので、孤独を感じると大変なストレスになり、病気を引き起こしたり、判断を誤ったり、決断出来ずにいたり、時には死に至る事さえあります。
自分の存在を自分以外の人で認識しながら、群における役割や、学びを必要とするのでしょう。 特に男性は年齢を増すと孤独に耐えられなくなるようです。 
ところが、自ら人との関わりを持つことが苦手とされる高齢の男性は、孤独を解決する能力はそれほど高くない事から、更に孤独感が増し社会性が乏しくなるようです。
女性はいくつになっても、女子高生のようにキャキャとはしゃぎながら、楽しげにグループ旅行や、食事、カラオケ、その他の娯楽を楽しむことが出来ますが、楽しげにおしゃべりしながらくつろいでいるおじいちゃんのグループには、中々お目に掛かれないものです。 ただ、男性にも生きる道は十分に残されていて、ある一定の年齢に達してくると、簡単に言えば生殖能力が大分衰えてくると、今度は人の為、社会の為になることに貢献したくなるという研究結果が出ています。 原因は、ホルモンの減少により1対1の熾烈な競争から、団体戦へと移行していくのではないかと言われています。
人生50年と言われていたころからすれば、更に20年~30年をどう生きるかは、とても大切になってきます。 社会とのつながりを持ち、貢献していくことは結局は自分を守り、人生を楽しむ力になるようです。
そして、もう一つ素晴らしい処方箋があります。 それは、女性と一緒に住むこと。 これは男性にとっては大きな救いとなり、当然のことながら生殖能力も一人身の男性よりずっと高く、ホルモンの減少も抑えられ、健康でいられるという訳です。 今からでも遅くありません。 どうか、「おはよう」から「お休み」の間に、せめて一度は「愛しているよ。 ありがとう。」と言ってあげて下さい。 それこそが、長生きしながらこれからの日々を幸福に、しかもセクシーにおくれる方法なのですから。

 

 


 

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2012年

4月

09日

インターネットコミュニケーション~核家族の彷徨える個人~

ホームページの引っ越しやfacebookの手入れ、mixi,twitter,blog,更には、youtube,ゲームとパソコンや携帯を使わないのは、病気の日ぐらい。

以前は考えられませんでしたが、ネット上の知合いとセミナーを開いたり、カフェで話したり、オフ会に参加したりと、知り合うきっかけが、ネットコミュニケーションからだったりするのが、当たり前になってきています。
もちろん怪しげな領域には近づかない様にしていますが、その、「怪しげ」さは自分の判断なので、難しいところでもあります。

ネットで知り合った、見えない相手がリアルな「人」として目の前に現れると、そのギャップに戸惑ったりすることもあるでしょう。
あるいは、思っていた通りの「人」だったと、安心したり。

インターネットの歴史は、まだ始まったばかりですら、しばらく過渡期を経て新たなツールとしての役割を、恐ろしいまでの勢いで、発達しつつ、果たして行くのでしょう。

わたし自身は、丁度その創世記が学生時代から社会に出ていく時だったので、IBMがマイクロソフトへ個人向けコンピューター(PC)のOS発注を出しているころに、「これからのコンピューターは誰でも、個人が持つモノになるだろう」と教えられて、こんな何百万するか分からない(プリンターも含め)高価な機材を、そう簡単に買えるわけがないと絵空事のように聞いていたものです。

ただ、会社の中では、外資だった事もあり、既に自分用のパソコンは与えられていたので、PCの普及はあっと言う間だったわけですが。

実際、家の中でポータブルのパソコンを使い、ネットを繋いだのは、多分15年前。 ブログの開始が2005年になっていますから、丁度その数年前くらいからインターネットは主婦でも少しずつ利用する身近なものになっていたのでしょう。 当時は、写真をダウンロードするのは死ぬほど時間がかかり、動画など夢のような話。

このたかだか二十数年の間に、ネットによる進歩とネットを通してのコミュニケーション、情報取得、更にはネットだけでの付き合い、出会いが当たり前のようになってきているのは、小さな世界で生きているわたしなどには全く想像も出来ない事でした。 そう思い当たるようになったのは、ほんの数年前。

コミュニケーションのセミナーを開いている身としては、この先の流れに大いに興味があると同時に、もっと大きな恐れも感じています。

まだ、誰も見たことのない、これまでにも経験したことのない新たなツールの活躍と利用がどのような方向へ流れていくのかはわからないわけだし、コントロール出来るとも思えないのです。

漠然と感じる恐怖と、依存。 わたし自身も正直太刀打ち出来ず、右往左往している訳ですが、中毒にならない様に、もうちょっと「リアルな世界」に軸足を置いて、根をはらないと本来持っているフェイストゥフェイスコミュニケーション能力は、益々衰えていくと切実に感じています。
それは、最近の子供達やその親子関係を見ていても如実に感じる事でもあります。
泣かない赤ちゃんが増えている、その理由が携帯中毒とパソコンに向かいっぱなしの親が、目を見つめあったり、あやしたり、声かけをしたりの コミュニケーションを取らないから、との結果が出ていてやりきれない思いに駆られます。

家族間の意思疎通さえ上手く行かないのに、社会との協調や自分自身の精神の均衡、拠り所を一体どこに持っていけば良いのでしょう。 核家族の彷徨える個人。 私たちは、世界中の人々とたやすくつながる事が出来るのに、一番身近な家族や本来の自分自身とつながることがとても難しくなっている様な気がしてならないのです。
すべて、人ごとではないこの空恐ろしい空虚さを埋めるためにも、ほんの少し、今日会った人々の顔を、朝食を作ってくれた人の事を、お風呂に入れてくれた人の思い出を蘇らせてみるのも大切な自分とのコミュニケーションだと思います。

 

 


 

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2012年

4月

07日

決断        2012

リスクのない決断は無い。

 
穏やかな日常を生きていてさえ、この事から逃げられないのが現実でしょう。
わたし自身も、事の大小にかかわらず、決断を迫られ悩んだ末にあるいは、深く考えもせずにこれまで数えきれないくらいの決断をしてきました。 それは、選択だったかもしれませんし、切羽詰まった納得のいかない結論だったかもしれません。
しかし、その時々の決断は後の結果や、人生の歩みを決めることにつながって行ったのは間違いありません。 如何に後悔しようとも、過去に戻って違う決断をする事は不可能なのです。 その時の決断は、その時点では最良のもであったと思うしかないのです。 
客観的には、あるいは冷静な目から見たら、それは最悪の決断だったとしても、時を戻すことも、止めることも出来ないわけです。 であるなら、決断した人間にとっては、精一杯の決定を下したということになります。 どんなに言い訳をしても、苦しい立場に追いやられても、受け入れざるを得ない結果が待っているのです。
最高の結果を得られる可能性もあれば、思いもよらない結果が出てくるリスクもある訳です。 生きていくと言うことは、その自分の決断を誰にも任せられないということでしょう。 
わたしは、そのリスクを背負うことをためらっている人達に何度も出会うことがあります。 正直、背中を押したい気持ちに駆られますが、それこそ「余計なお世話」  どの道、結論は本人の中で出ているし、私には何一つ荷を軽くしてあげることも、何らかの保証をしてあげることも出来ないのです。
時にそれは、歯がゆく感じ、或いは心から称えたい思いに駆られ、我が子も含め見守る事の忍耐が必要となります。
思い通りに行かない、その結果に抗い、抗い切れなければ受け入れる。  それが大人の決断なのでしょう。

 

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2012年

3月

16日

習慣の美徳      2012

習慣  sanaemiyukioffice©
習慣  sanaemiyukioffice©


朝起きた時に、自分に言葉のプレゼントをしましたか?

朝食を美味しく頂きましたか?

あなたに関わって下さった方に、感謝していますか?

良く、笑いましたか?

人の良い所を見つけましたか?

笑顔で挨拶をしましたか?

鏡で、自分の顔を沢山見ましたか?

大好きな事を何度か、思い浮かべましたか?

自分の夢を楽しく語れますか?

褒め言葉を沢山知っていますか?

人の話を聴いていますか?

物を扱う時、丁寧にしていますか?

自分の体を気遣っていますか?

お風呂にゆっくり入って、体のケアーを十分にしてあげましたか?

ストレスの解消法を持っていますか?

信頼出来る相談相手、理想の先輩がいますか?

自分自身を愛していると心の底から思えますか?

私は、素晴らしい、素敵だ、と声に出して言っていますか?

人を愛し、受け入れることを幸せだと感じますか?

あなたが笑うと、幸せになる人がいますか?


いくつのイエスがチェックされたのでしょう。 
自由に生きたい、ストレスから解放されたい、愛されたい、愛したい、豊かになりたい。心の中で何度か叫んだその望みを、叶える準備は出来ていますか?
もしかしたら、あなた自身が受け入れ準備を怠っている可能性はありませんか? 
そう、それは誰かの手を温めてあげたくても、自分の手が冷たければ、温もりを伝えることは出来ないし、誰かに温めてもらいたい時も、相手から温もりを奪うだけでは互いに
冷え冷えとしてしまう。 結局は、自分の体温で自分自身を温められないと、誰一人心地良くする事が出来ないという事です。
自分自身を愛し、受入れ、評価し、抱きしめられるあなたの存在が、幸せを受け入れる準備になるのです。
今日、その準備をさっそく始めてみませんか?

 

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2012年

3月

06日

復興への祈り     2012

2012,3,6

先月、私にとってこの先一生忘れることができない、深い喪失感と悲しみにみまわれて、正直心の整理が出来ずにいましたが、時間と日常の暮らしはその言いようのない無情さを救ってくれています。 ほんの少しですが、昨年の震災に見舞われて苦しみに耐えている方々のどうにもならない暗闇の中の失望を、理解できるような気が致しました。 もちろん、比べられないくらいの痛みの中にいて、これからも忘れることも、逃れることもできない方々の事を思えば、わかった様な言い方は失礼になるとは思いますが、今を必死で生き抜いているその事が、私のいつもの日々を取り戻す、支えでもあったのは事実です。
3月11日で一年が経ちますが、更にこれからが復興への足がかりとして、大切な時期を迎えると思います。 政府や東電の発表するニュースに、全く納得がいかない毎日ですが、それでも被災した方々が強く生きていくことを願ってやみません。

2012年

3月

05日

恋は想像力     2012

2012,3,5

恋の基礎知識、基礎体力は想像力にある。


恋が上手くいかない、素敵なパートナーに巡り合えないと感じているのでしたら、想像力の力を借りて一番望む状態、自分がワクワクする相手を想像してみて下さい。
条件や環境、表向き、経験だけにとらわれていませんか? もっと自由に自分らしい恋の仕方を想像してみましょう。 きっとあなたが望む理想の姿が見えてくるはずです。
恋を楽しむワークショップを開催しておりますので、是非ご参加ください。 個別のカウンセリングの予約も常時受け付けております。

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2012年

2月

14日

言葉     2012

あなたの言葉があなたを作り、あなたの未来を創る。

 

こんにちは。 曇り空の今日、皆さんはどのような言葉で今朝目覚めたのでしょうか?
顔を洗う時、歯を磨くとき、着替えた時、メイクをしている時鏡の中の自分に掛けた言葉は何でしたか?
そして、家族や会社の同僚、先輩、上司、隣近所の人たちに掛けた言葉は?
あなたの発する言葉はあなたを作っています。 ため息をつけば、脳はストレスと感じその信号を体中に発信します。
「めちゃくちゃ楽しい」と言葉にすれば、脳は喜んでエネルギーを作りだします。
さて、自分のためにどんな言葉を投げかけたのでしょうか。 その言葉は、あなた自身をあなたの未来を創りだしているのです。

 


早苗美幸事務所では、スケジュール以外でもカウンセリング、相談受付もしておりますので、詳細、予約、料金等はお問合せ下さい。

2012年

2月

03日

わたしのお気に入り     2012

My Favorite Things
My Favorite Things

My Favorite Things

 

Raindrops on roses and whiskers on kittens
Bright copper kettles and warm woolen mittens
Brown paper packages tied up with strings
These are a few of my favorite things

Cream colored ponies and crisp apple streudels
Doorbells and sleigh bells and schnitzel with noodles
Wild geese that fly with the moon on their wings
These are a few of my favorite things

Girls in white dresses with blue satin sashes
Snowflakes that stay on my nose and eyelashes
Silver white winters that melt into springs
These are a few of my favorite things

When the dog bites
When the bee stings
When I'm feeling sad
I simply remember my favorite things
And then I don't feel so bad

 

私のお気に入り

バラに滴る雨滴 子猫のひげ
ピカピカの銅のやかん あったかいウールのミトン
ひもで結わえた茶色の小包
これらは私のお気に入り
クリーム色のポニー しゃきしゃきリンゴのシュトロイゼル(ドイツ菓子)
ドアの鈴 そりの鈴 ヌードルつきのシュニッツェル(肉料理)
月を翼に乗せて羽ばたく雁の群れ
これらは私のお気に入り
白いドレスに青いサテンのサッシュを身に付けた女の子
鼻やまつ毛に残った雪のかけら
春へと溶けゆく銀白の冬
これらは私のお気に入り
犬に噛まれたとき
ハチに刺されたとき
悲しい気分になったとき
ただただ、好きなもののことを思い浮かべるの
そうすれば気分がほぐれてくるわ

 

これは映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中で、雷を怖がる子ども達を楽しくさせるために、ジュリー・アンドリュース扮するマリアが歌って聞かせる歌です。
小さい時に何度か見たのですが、何を言っているのかまでは全く分かりませんでした。 歌の中にちりばめられている「好きな物」は、私の中で勝手に解釈されて、いつの間にかそれらは、「私のお気に入り」となっていたようです。
それは、焼きたてのパンの匂い、ピカピカのエナメルの靴、レースたっぷりのハンカチ、ギャザーが一杯の花模様のワンピース、猫の毛繕い、夏になる前の新緑を揺らす風、熱い道路を濡らすにわか雨、その後の立ち上る匂、プールサイドのパラソル、繕い物をする母の背中、夕げの支度、生クリームの上のチョコレート、巻いた髪に結ぶサテンのリボン。

想像すると楽しくなる情景や思い出。 ワクワクしたり、うっとりしたり、懐かしく思ったり。言葉、形容が肌触りや匂い、温度までも鮮やかに甦り記憶を刺激します。
何とも嬉しくなり、心が湧きたつ揺さぶり。 「お気に入り」は、豊かな時間を呼び寄せ、優しさの中に包まれるキーワードだと思います。

たくさんのお気に入り、好きな物、ワクワクする時間を持っている人はきっと多くの豊かな時間を紡いできたのでしょう。 その、柔らかな感性はとても大切なエネルギー充電器の役割を果たしてくれます。
詞の最後にあるように、悲しい気分になった時、ただただ好きな物を思い浮かべる。そうすると不思議と頭の中に広がる鉛の様な重々しい暗雲は、嘘のように晴れ渡り、甘いメープルの匂いや、潮騒の音を蘇らせてくれるのです。 
怖いものも、嫌いな物も、痛みも、辛さも目の前から消えてくれるわけではないけれど、感情や脳の集中をそこから解き放つことは決して難しい事ではないのかもしれません。
喧嘩したあの人を許すことはできなくても、恨み続ける時間の無駄遣いは避けられそうです。

今年は、楽しいこと、お気に入りのリストをいくつ増やせるでしょうか? 
考えるだけで、胸が湧きたち、力強い生命力を自分の中に感じられませんか。

 

2012年

2月

03日

美しいわたし     2012

隅々まで自分を愛していますか?sanaemiyukioffice©
隅々まで自分を愛していますか?sanaemiyukioffice©

 

 

「美人は得をする。」 本当でしょうか? 

私は、本当だと思います。 「背の高い男がもてる。」「スタイルの良い女性はもてる。」「美男は好かれる。」 これもその通りだと思います。
誰にとって美しいのか、スタイルが良いのか、背が高い美男であるのかが大切です。 誰が「そう」認めているのか。 会社の人たち?学校の友達?近しい誰か?親族?今まで会った人達?
誰かに認められるのは、嬉しい事でしょう。 しかし、本当の意味でそれが自信につながるには、自分自身が「Yes」を出さなければ、あらゆる肯定的な言葉も良い方へ、行動の実行へと移行しては行かないでしょう。
誰が何と言おうと「私は美しい」「私は格好いい」と自分で思えないのであれば、それは美しくも、ハンサムでもないのです。
以前のブログ、「1人の見方と100人の敵」にも書きましたが、たった一人の見方が「OK」を出しさえすれば、そこに大きな違いと行動が生まれ、美しい人が誕生するのです。
自分を愛するようにしか、人を愛せない。 人との関わりにつまづいたり、悩んだり、苦しんだりする時に鏡の中のあなたに問いかけてみて下さい。「私は素晴らしい?」「私は美しい?」「私は私を愛している?」
答えが「Yes」になるまでは、その心を暗くする悩みから逃れることは難しいでしょう。 辛い時、苦しい時に良く耐えているその人を愛し、称えてあげる事に何の躊躇がいるでしょう。 
遠慮なく自分を愛し、尊ぶことに答えはあると思います。 
是非声に出して、愛していると言ってあげて欲しいのです。 鏡の中の美しいあなたに。

 

 

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2012年

1月

24日

なりたい自分     2012

本当に、したい事、なりたい自分が見えている?

 

これは、今作っているプログラムの中のワークの一つのテーマです。

「大きくなったら何になりたいの?」という問いに、子ども達はそれぞれに嬉しそうに、或いは自慢げになりたい職業や、アニメ、マンガのヒーローを口にし、それがどんなに素晴らしいかを嬉々として教えてくれます。 ヒーローに成りきった男の子達は、変身するポーズをとって見せてくれるし、ヒロインを夢見る女の子達は、細かな仕草や様子を再現してくれる。子どもの何にもとらわれない自由な発想と既成概念、物理的理論も生物学も、お仕着せの社会的モラルも無視した、無限の翼は、大人になると社会の規範の中で随分と小さく貧弱になってしまったようにも見えます。
これから、春にかけて新しく環境が変化する時、現実の問題や解決できずにいる事がもし、あるのであれば、しばりつけられた心や考え方、見方を一度解き放してみませんか。
いつもと同じプロセス、習慣、経験からくる恐れ、諦めを手放して、あなたの無限に広がる未来への翼をゆっくりと広げてみましょう。
考えてみて下さい、あなたの未来は一体誰が創り出すのですか?過去に出会った人達ですか?今付き合っている人達なのでしょうか?あなた以外の、一体誰なのでしょう?なりたいあなたには、誰がしてくれるのでしょう。 そして、あなたを幸せにしてくれるのは、誰なのでしょう。
チャレンジを恐れ、マニュアルが無いと躊躇し、リスクを持ちたくない、傷きたくないとしたらその先にあるのは、今より一層大きなリスクでしょう。明日は今日より確実に年を取るのですから。

いつか、誰かが……これはきっといつまでたってもやってこない「いつか」、と出会うことのない「誰か」を待ち続けて、死を迎える悲劇のようなもので、幻を夢見てマッチを擦り続ける少女よろしく、炎の中に浮かぶ幸せを寒さに震えながら追いすがる、ある意味喜劇かもしれません。
厳しい言い方ですが、自戒を込めて「幸福は自分自身でしか見つけられない」と言えます。 自分以外の人に依存し続け、幸せを「与えてもらう」事は不可能でしょう。

いつもと同じ道を通らずに、遠回りしたり、裏通りやら、畑の中をつっきたりした時、景色は違って見えるように、いつもと違うあなたの脳のシナプスを動かしてみませんか?隠されたアイデアや、新しい感覚が蘇って来るかもしれません。 

多くの課題と乗り越えなくてはならない試練を受け、2012年は私にとっても更に試される時なのかもしれないと、感じています。
これから引き続きカウンセリング、セミナー、イベント、コンサートを主催していきます。 新たな一歩を踏み出したい方々と一緒に、私も小さな一歩踏み出します。 
あなたの自由な翼を広げるために、カウンセリングの予約を随時承っております。是非ご活用ください。
因みに、私の子ども達の幼稚園生の時の大きくなったら何になる?の答えは、上の子は「種」、下の子は「ブロック」でした。 そして私の憧れは「魔法使い」でした。
皆さんはどんな夢を持っていましたか? そして、叶えましたか?

2012年

1月

03日

新たなる気持ちで     2012

新年明けましておめでとうございます。
2012年と言う新しい年を迎えられる事が、これほど重く幸いであると感じられる年は、今まで在りませんでした。
2011年に起きた大きな災害、経済危機、不況、政治不信、数え上げたらきりのない苦難を、時に呆然と立ち尽くし、或いは必死で前を見ようとそれぞれが奮い立ち、勇気ある言動に敬意と感動を持って、励まされながらも幾度となく襲ってくる不安に苛まれた日々。


しかし、「時」は冷静に、留まることなく刻まれていきました。 これからも、私たちは震災前、震災後を考え続けるでしょうし、解決しない原発を抱えながらこれからの数十年を想わざる得ないでしょう。
子を持つ親としては、未来への恐怖がずっと付きまとうことになるし、どうにも出来ない現実を歯がゆく思っているのも事実です。  
ただ幸いにも、沢山の人々に出会えたお陰で、私の中でも多くの気付きがあり、頼りない自分自身の弱さや情けなさに向き合うことになりましたが、それでも、迎えた新しい年を新たなる気持ちで出発したいと思っているのです。 それは、せめても命を繋いだものの使命として、成すべきことを成して行こうと、小さなほんの少しの挑戦をして行きたいと考えております。


どうか、皆様にとっても明るく健やかで、幸福を心から求められる年となります事、お祈り申し上げます。 踏み出す一歩が必ず、望み多き未来に繋がっていると信じて。

 

2011年

12月

24日

2011年 Miyuki Blog

死と向かい合う ~生への探求「松井冬子」

美貌の画家。彼女自身が素晴らしい作品でもある。
美貌の画家。彼女自身が素晴らしい作品でもある。

 

執拗に見つめる事の執念は何処からやって来るのか。 松井冬子氏の作品に触れてやっと、その答えにたどり着いたような気がします。
薄々感ずいている事も目前に突きつけられないと、受け入れられない事、逃れたい事はいくつもありますが、その中でも最も恐れ避けたい事は「死」かもしれません。
命が閉じるその事が、物理的に肉体上でどのように起こっているのか。 肉体が腐敗し、朽ち果て、物質と共にその存在も風化して行く様は日常の中では、忌み嫌われ
暗闇へと追いやられる。 グロテスクで気味の悪い、生理的にも受け付けられない状態を、これほどにも真摯に向かい合い、書きつけ、描写にエネルギーを注ぐことへの
素質、原点とは何なのであろうか。 筆の精緻さは、一切の曖昧さを排除して一層の生への敬意と執念を訴え、ひたすらに事実と真実を表現している。
凡人には到底かなわない、その執拗さこそ、芸術を選んだものの宿命だとしても、この生命への探求は、私にとっても、全ての曖昧さを捨てざるを得ない決断を迫られ、
めまいさえ感じる。 まるで足元もおぼつかない幼児のように、寄る辺ない不安を感じてしまう。
芸術家になる事への決意、それはどんなジャンルであろうと容易でない事でも分かるように、結局は生きる事の意味、その哲学、真摯なる執着を表現することなのだろうと理解致します。
美術、音楽、舞踊、パフォーマンス、映像、文筆、全ての表現の芸術性はこの事、生きている事の証。 その実態をただ、ひたすらに表そうとしている事なのだろうと想像し、
美しさも、華麗さも、可憐さも、ユーモアも、輝く若さも、恐怖も、醜さも、残酷さも、老いも、死も、全て欠ける事が許されないと覚悟する、その事が表現者としての条件なのだろうと言う事に思い当たります。 松井氏の作品はそれを、迷うことなく付きつけてきます。 そこに、畏敬の念と我が身からは遥か遠い羨望とナルシスティックな挫折を感じずにはいられません。
芸術はやはり、「ライブ」であるから説明し解説することは馬鹿げていると思いますが、それでもその印象を伝えたい思いに駆られるのは、魅力に触れた人達の共通の感情だと思います。
彼女の作品の感想一つ一つを伝えることのできないもどかしさはありますが、このもどかしさと自分だけが知っている感動が、「ライブ」に立ち会った証人の喜びなのかもしれなません。


 

2011年

10月

08日

鏡の国のワタシ      2011

仲間
仲間

鏡の国のワタシ

私は一体どんな人間なのだろう?この疑問を持ちながら、人は歩き続けているような気がします。
しかしながら、自分自身は自分の目を通してしか見ることが出来ません。 映画「マルコビッチの穴」の様に、他人の頭の中から世の中を見ることが出来れば、またそこには自分が見ている世界とは、別の違う世界が見えてくるでしょうが、実際はそんなことは不可能であるから、ひたすら自分の中で考え、想像し、時には悩む事になります。 これが高まれば自意識過剰になり、この自分への執着と意識に苦しめられる事もあるでしょう。
そこで、少し視点を変えて、自分の眼から少し離れ、鏡に映った姿を眺めてみると、そこには一度たりとも同じ自分がいない事に気付きます。 さらに、視点を広げて自分を他人によって見てみる、つまり、自分以外の人を鏡として見ると、更に意外な「わたし」が見えてくるはずです。 気の合う好きな人、友人からは、自分との共通点を発見して、自身の好きな部分の確認をするかもしれません。 或いは苦手な人、どうしても好きになれない人からは怖れている事、自分の嫌いな部分をハッキリと自覚、確信したりと嫌悪の中に潜む、潜在的な「わたし」の正体を知る事の助けになるかもしれません。 そして、その中には、越えられなかった何らかのトラウマやコンプレックスがあるかもしれないのです。 自分の目からは見えなかったモノを、他人の言動や視線から読み解くパズルや謎解きと言っていいかもしれません。
そして、とても興味深い事に、好き嫌いに関係無く、人は常に会う人、例えば家族、職場の人間、学校のクラスメートなどと意思の疎通を図るために、その人達と似たような仕草、言葉遣いをし始めます。 まるで、物まねをするように。 された方の人間は相手に、好感を持ち、仲間と感じ両者間の意思の疎通は上手く行くようになります。 
さて、あなたの周りにどんな人がいますか? その人達をあなたはどの様に感じているのでしょうか? もし、好きな人ばかりなら、それはとても幸運な事。 でも、尊敬できない、好ましくない人と一日を過ごさなければならないとしたら、少し気をつけて自分の今日一日を振り返ってみては如何でしょうか。 いつの間にかあなたも、その人に似てきていませんか? 愚痴が多くなったり、イライラしたり、人への物言いが乱暴だったり。
環境を変える事はとても難しいでしょう。 でも、付き合う相手は選ぶことが出来ます。 出来る事なら、あなたを映す鏡は、曇が無く、あなたの理想を映し出してくれる「人」である事を祈ります。

 

2011年

10月

07日

旅するこころ      2011

心に持つ翼は、どこまでも一瞬にして広がって行く。それは、想像であり、それは表現であり、思い出であり、未来への希望である。 


芸術に触れる度に、その事を強く感じます。 芸術に限らず、情熱的に何かにもしくは誰かに思いを注いでいる時も、それは起こる心の旅の様な気がします。
心、今は脳と言った方がいいのかもしれませんが、いづれにせよ、想像を楽しみ創造し自由に羽ばたかせる力を持っている「人」と言う動物は、とても興味深く未知数の部分が大きい何とも魅力的な生き物だと言えます。
先日、いつもお世話になっていお二人、原田哲男さんが首席チェリストを務める仙台フィルに、東京シティフィルコンサートマスターの戸澤哲夫さんが客演をなさるということで、
アジアオーケストラウィーク2011に行ってまいりました。 これは、文化庁主催で今回の3月11日の大震災をきっかけに、同様に震災に遭ったアジアの交響楽団と共に手を取り合いながらオーケストラの競演を楽しむ事を趣旨とした演奏会でした。 私が伺ったのは、10月4日でしたが、他の日には韓国から大邱(てぐ)市立交響楽団、オーストラリアからはクライストチャーチ交響楽団が来日して仙台フィルとの共演も含め、素晴らしい企画となりました。
片岡良和氏の「抜頭によるコンポジション」からベートーヴェンピアノ協奏曲第4番そして、シェスタコーヴィチ交響曲第5番と続きます。 重厚かつ濃厚な音の響きと物語性、軽妙であったりユーモアに満ちていたり。
聴衆はひたすら、音楽の海で時にはゆったりとたゆたい、時には音の波に大きく流され、揺さぶられる。 共に大海原で水平線の向こうに見える光を探す航海のような、それは音との旅だったような気がします。

音に曳航されるように、ゆったりと満足を連れて港にたどり着く頃には、まばゆいばかりの光と共にいたように思います。 音楽との旅は、何とも豊かで心弾むものでした。 日常を離れて閉ざされた空間と時間の中で、
際限のない世界を作り出す事の不思議さその喜びは、飽くことのない人間の未知への追及なのかもしれません。

2011年

9月

25日

一期一会     2011

Luxury Time.    sanaemiyukioffice©
Luxury Time. sanaemiyukioffice©

9月22日にシリーズ化して行く「白熱課外授業」の第一回を開催致しました。 この会の大きな目的は、職場、男女、年齢、国籍、経歴、宗教を超えて交流しながら、地域から出来るだけグローバルな物の見方を習得したグループが育っていく事、プレゼンテーションの練習をして行く事、エンターテイメントを常に念頭に入れて行く事、ユーモアを身につける事等です。
人との違いを受け入れ、キャパシティを広げる事の訓練が出来れば「人生は、常に広がり更に面白い」と思い企画したものです。 
できれば、サンデル教授の様に縦横無尽に正義から政治哲学を学び、あらゆる事例のもとに疑問を投げかけていけたら、どんなにか楽しく白熱した時間を作り出す事が出来るはずですが、ハーバードのレベルは無理でも、出来るだけ多くの人と触れ合い交流し、時に疑問を投げかけ合う事、答えの出ない難問にもチャレンジしてみる事は、非常に有意義に思います。

この課外授業と銘打った企画は、それぞれの期待する事や、話したい事聞きたい事は全くバラバラですから、どのような発展と進展があるのか予想はつかず、それと同時にもしかしたら、二度と合わないその場限りの方々もいるかもしれ無いわけで、であれば、どのような出会いも、一期一会と思ってその事、物、人に対して行けば、自ずとそれぞれの関係は違ったものになっていくのではないかと感じています。
ウマが合うか合わないか、好きか嫌いか、損か得かで相手に接するのではなく、二度と会えないかもしれないと一つ一つの出会いを大切に思い、出来る限りの「もてなし」を試みる。 如何に相手を満足させるかを常に考え、相手の喜ぶ顔を見る事が喜びであるなら、この二つの間のコミュニケーションは、まず間違いなく上手く行くはずです。
二度と会えないと思うのであれば、相手に掛ける言葉も、視線も、気配りもそれは誠意のこもったものになるでしょう。 出会いを一つ一つ大切に出来る人は、当然の事ながら、「大切にされる人」でもあるのです。

たった一度の出会いも、大きく人を変える可能性もある事。 人は人によって磨かれて行く事。 自尊心と同様に他尊心をもつ事で、自分の人生に大きなチャンスを与えてみるのは、如何でしょうか。 

次回の白熱課外授業、どうか興味のある方は、いらしてみて下さい。

 

2011年

9月

14日

ケチ   2011

「ケチ臭い人」。 正直、心が暗くなる言葉である。 
ケチる、ケチを付ける、ケチケチする、ケチがつく、けちん坊。 ケチがつく言葉は、褒め言葉にはどうしても使えないのは、ケチと節約、節制は心根の部分や時と場合のわきまえによる違いかもしれません。
でも、私の心が暗くなる「ケチ」は「お昼に誘っておいて、割り勘だった。」とか、「お金をケチったから、直ぐに壊れた。」とか、「ケチだから、お小遣いを上げてくれない。」などの、お金や物だけでは無く(時々はそれが理由で、悲しい気持ちになる事もあるのは事実) 言葉だったり、行動、態度がどうにもケチ臭く感じてしまう時は、ひどくつまらなく更には少し落ち込んでしまうわけです。
それが他人事であるにもかかわらずです。 例えば、自分自身の事を振り返ると子供が小さい時に、結果はどうあれ一生懸命やった時にそれを十分に称え、喜びを伝える言葉を使ってあげられなかった事が数限りなくあった訳です。 つまり褒めることを出し惜しみし、ケチったということです。これは、別に子供に限ったことではなく、会社の中であれば、同僚、上司、後輩、部下とその時々で、十分に頑張りや努力を称える言葉掛けが出来ていたかどうかと言う事でもあります。
必死でやった事に対して認められたり、称賛されるのは誰にとっても嬉しい事。それを、あまりいい気にさせては、天狗になられては困るなどど、ケチ臭い後先の心配をして、折角のタイミングにちゃんとたっぷりと言葉や感謝のプレゼントを贈れないなんて、勿体ない話です。 例えば、ライバルの素晴らしさを認めることは自分の負けになるから、絶対に褒めない、認めないと思ったとしても、本当のライバルは自分でしかないことが分かれば、今まで敵と見ていたその人は、共に険しい道を闘う同志であり、良きアドバイザーであることに気付きます。 
言葉や熱い思いを出し惜しみして、行動に移さず常に、様子を伺う事に精を出していると安全が確保されたように思うかもしれませんが、実際は、とても危険な状態だという事は、結果を受け取った時初めて分かるのかもしれません。
例えば、あなたが今、物事が上手く運ばず苦しみ、悩んでいたとします。 他人に目を向けたり、感謝したり、心のこもった言葉を投げかけることが出来ないとしても、そこは踏ん張りどころ、試されどころなのだと思います。 状態が良くない時、周りの人全てが羨ましく、気持がささくれ立っている時程、優しい言葉を、感謝の気持ちを声に出して言ってみる事です。 すると、不思議な事に気付くはずです。 その言葉は、必ず自分自身を慰め癒し、勇気づけてくれるからです。
脳は、褒め言葉が誰から発せられたかに関係なく、その言葉を単純に「喜び」として認知するそうです。 他人に掛ける言葉をケチる事は、自分に対しても言葉をケチっているという事。 であるならば、日常の中に光のシャワーの様に、楽しく美しい、優しい言葉が降り注ぐことは、自分を育てる大切な栄養素になってくれるはずです。
ケチらず、惜しみなく言葉に出して、あなたや、あなたの回りの誰かの脳に栄養を与え、どんな花が咲くのか楽しみに待ってみるのは、悪くないと思いませんか?

 

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2011年

9月

14日

老いの喜び     2011

強がりの様に聞こえてしまうかもしれませんが、老いると言う事が、決して思っていたような「醜く、魅力の無い、役に立たない存在」では無いことが、分かってきたように思います。
十代の頃は当然ながら、自分の30代、40代など全く想像も出来なかったし、そもそもそんなに生きているのかさえ定かでなかったわけです。 美人薄命ならあんまり長く生きていると、憎まれっ子だと言う事を証明してしまうわけで、出来れば、美しいうちに、惜しまれながら愛する人に抱かれてこの世を去りたいと夢見ていたわけです。 要するに乙女の妄想です。 ところが、20代も半ばを過ぎると結婚や出産、子育てと立て続けにイベントをこなす事になり、日々大忙しで美しき死への妄想など何処へやら、全速力で走り抜けるように月日が流れ、下手すると自分の誕生日さえ忘れてしまう。 子供が手を離れ24時間体制のコンビニ育児から、8時間のフルタイムに、そして4,5時間のパートタイムになるころには、髪に白いものが混じり手入れを怠っていた肌に慌てるわけです。 しかしながら、それを老いの醜さがジェットコースターのように、加速して行くのかと、若い私は思って恐怖を感じていたはずでしたが、いざ老いて行く事と向き合うと、それは想像とは全く違ったものでした。
勿論、たとえ無駄だと言われようと「アンチエイジング」の為に努力をしないわけではありませんが、顔のシミも皺も皮膚のたるみも、幸いな事に一日で出来たわけでは無く、時の配慮とも言うべき執行猶予が十分にあり、徐々に変わって行く自分を、ほんの少し楽しみながら受け入れて行くのは、そんなに苦しい事でも、困難な事でもなかったのです。 これは、思わぬ嬉しい誤算でした。 そうして、更に幸いな事に人類初の中年に私が選ばれたのでもなく、前人未到の「死」を経験する最初の人間に任命されたわけでも無いので、老いていく事、死を迎える事は生きているうちに何度も経験し、先輩に教えてもらえるのです。 その先輩たちがいかに素敵か、いかに楽しげに中年や老人を満喫しているかを見るにつけ、10年先20年先の自分が楽しみで仕様が無いと思えるようになった訳です。 
大好きなみうらじゅん氏が仏教の話に触れユーモアたっぷりに「生まれた時から、余生」とラジオで言っていたのを聞き、何とも可笑しく、何とも解放された思いに心がゆるゆると慰められていくような気がしました。
死に向かって生きていくという事は、どうしても変える事の出来ない事実。 ただ、そこに至るまでのプロセスに大きな学びと沢山のプレゼントが用意されていることに気づかされ、小さな痛みや動かない体を受け入れながら、知らない事への怖さもあるけれど、知らない事の楽しみも捨てがたい。 ちょっと格好つけて、大分いい加減におばあさんになれたらいいと思っているのです。

2011年

8月

31日

誠実、不誠実     2011

Oscar Wilde
Oscar Wilde

 

真面目が良い事だと、もうだいぶ前から刷り込まれていますから、誰しも真面目に生きる事を求められ自分にも課して行く事になりますが、人生がうんと短ければ生涯真面目でいられようものも、80年も生きている間には、そうそう真面目にやっていられない事もしばしば出てくるはずです。 元来いい加減な私は、真面目な人に敬意は払いますが、自分を真面目な人と評価してもらうための努力はとうの昔に捨ててしまったように思います。 好きな事にはそれこそ真面目に取り組むでしょうが、興味の無い事となると、あきれるほどいい加減な態度になると言う、およそ信頼からは程遠い人間になってしまっているかもしれません。
それに、長いスパンで見る事が難しい、要するにせっかちで直ぐに結果や効果、成果を求めたがる所があるので、真面目で良かったと思う時もあれば、真面目にやったのに悪く言われたと思う事があったり、と評価がいい加減なものだから中々誠実な人間になれないでいるわけです。 勿論結果も効果も、成果も自分の評価なのでこちら側(受け取る側)の思いこみと力量でしょうが。


オスカー・ワイルドの「真面目が肝心」ーThe Importance of Being Earnestー という戯曲がありアーネストことジャックととその甥っ子アルジャーノンが巻き起こすロンドンとその郊外が舞台の喜劇がありますが、ワイルド特有の風刺や皮肉の効いた台詞と言い回しに満ちていて、ハッピーエンドまでスピーディに展開していく、今読んでも愉快な優れた喜劇です。
深刻な悩みや問題も、ずっと胸に抱えたまま、或いは背中に背負たまま歩き続けるのは決してたやすい事ではないし、その間に抱えているものが更に重くなる事もあるでしょう。
以前にどんなときにも、ユーモアがあると救われる事が多々あることを「コメディ」(2010,10月7日)の中で触れましたが、時々は深刻な直ぐには解決できない事も、手の中から解き放して、自分事から他人事へ無責任に眺めてみても良いと思うのです。
案外、「悩み」の本質が見えてくるかもしれません。 悩みの客観性は、本質に近づき解決を促す手助けになってくれる気がします。

さて、O・ワイルドは彼の逆説的な言い回しで、こんな事を言っています。
Seriousness is the only refuge of the shallow.
まじめさとは軽薄な人間の唯一の避難所である。
更にはその軽薄さを、
Only the shallow know themselves.
軽薄なものだけが自らを知る。
と評し、
A little sincerity is a dangerous thing, and a great deal of it is absolutely fatal.
ちょっとした誠実さは危険であるが、桁外れの誠実さは致命的だ。

と不誠実を進めています。  
そして、誠実さの中の不誠実に怒り、不誠実さのなかの誠実に誠意を見出す不思議もまた、人間なのですものね。

 

2011年

8月

21日

きっかけ     2011

パートナーが必要
パートナーが必要

物事を決断する時に、それぞれきっかけがあると思いますが、例えば結婚を決めるきっかけとなった事も、その時は気付かなくても、後々ふり返った時に、「あれがきっかけ」だったかも、と思える事がきっとあるはずです。
私の場合は、大きな理由の一つは「子供が欲しい」と強く思った事。 結婚適齢期はそれぞれ違い、これだけの高齢化社会となった今、結婚を考えられる時期の可能性は明らかに以前より長くなってきています。女性の社会進出の高さを考えてみても、環境が変化した分随分と選択肢も増えたのかもしれません。 外資系の銀行で働いていた当時、お手本となる同僚の女性達も実に良く、働いていましたし、家庭の事、子育てをこなしながら、キャリアを積んでいる姿を見ていたので、結婚して子供を産み育てる事が、身近な事として考えられたのです。 だだ、子供を産む為の年齢はやはり制限があり、子育てを考えても20代に結婚したい、と思っていました。 その時に相手に求めていたものは、健康であること、どんな場所、国でも生き抜いて行ける強さを持っている事。これが、私にとっての大切な結婚相手への変える事の出来ない「条件」でした。 そう決めると、付き合う相手を見る目も当然、変わって来て毎日この人と朝食を食べたり、父親としてどうだろうか?と想像してみたり、10年後、20年後、30年後も一緒に居たい相手だろうかと、自問したりと、それまでの「一緒に居て楽しい相手」から「長い目で見て、付き合って行ける相手」へとシフトチェンジして行ったように思います。 結婚が恋愛の延長線上にあるとは思えなかったのです。
恋愛関係なら「いずれは別れてしまうかもしれない相手」でも十分良かったのです。 しかし、結婚の相手となるとそうはいきません。「死が互いを分つまで」一緒に居る相手であるわけですから、慎重にならざるえませんし、私が生む子供の父親でもあるのです。
一緒に、命を育てていける「健やかで強く、賢い人」を望むのは当然の事でしょう。 勿論、相手がある事ですから、相手の望む「わたし」であっての事ですが。


そして、もう一つのきっかけ。 それは、何て事の無い日常の中に、ふと気付いたメッセージの様に、今思い起こしても可笑しな思いつきで、ばかげた決心とも言えます。 

ワンピ-スを着ようとして、背中のファスナーに手を回し金具を止め、鏡で後ろ姿を確認していた時にふと、まるで素晴らしい決心でもするかのように思いついたのです。 「これは、夫にしてもらいたい事だわ。ファスナーを上げるのも、金具を止めるのも。 自分ひとりでこの動作をするなんて、絶対嫌だ」と。 何とも理不尽で自分勝手な決心ですが、その時は強く願っていたわけです。
冷静に考えれば、たとえ結婚していても、いつも夫となった人が、背中に張り付いていてくれるわけでもないのですから、一人で止める回数は多いかもしれないのに。 それでも、その理不尽でくだらない決心は、間違いなく結婚する事へのきっかけとなり、後押しを手伝ってくれたわけです。 現に今も、ワンピースのファスナーの上げ下げは「夫」の役割となっているのですから。

 

2011年

8月

02日

幸せになる準備 (3)     2011

幸福は、確かに日常の中、そこここにあって、それは区別も差別もなく、誰にも用意されているようです。見つけるのが上手な人と下手な人がいるだけ。
V.E.フランクルの「夜と霧」でのアウシュヴッツ収容所の中で如何にして生き残って行くかでも明らかなように、希望も幸福もやけくそのユーモアも作りだして行くのは、人間の「脳」で、日々起きている事の現実をどう受け止め咀嚼し、それを空想や妄想で違う形に変えて、幸福を呼び込む事が、できる脳とできない脳があるわけです。 逆を言えば、どんなに美しく温かな優しさや、豊かさも脳がそれを喜びのカテゴリーに入れる事が出来ない、幸福と受け取れないのであれば、「不幸な事」にいつでも置きかえられてしまうのです。
個人的な体験ですが、老齢の私の母が、お気に入りの飲物を飲み終わった時に、既に空になったジュースのパックを中々手放さない時があります。空になった事を納得していないわけです。高齢ですから、意外と頑固。しかも、臭覚と聴覚は極めて敏感ときている。ほんのわずかな液体の音に、「まだ残っている」と譲らないわけです。こんな時、「もう無いの。空っぽよ。」と言っても納得させるのに時間がかかるのは同じ事。 ところが、「凄い!!良く飲めたね。元気だね。だから若いんだね~。憧れちゃうよ。」と手放しで褒めたたえると、即納得してその後の会話も弾むし、大好きな自慢話にも力が入るわけです。更にジョークの一つも交えると、ノリも良く笑い声も絶えなくなるというわけです。 母は言葉の楽しい響きに反応したのでしょう。(反応できる能力がある事がありがたい。)
セミナーで常々参加者に提案する一つに、「言葉の花束」がありますが、自分にとって喜びとなる言葉、励みとなる言い方、喜びの言葉は何ですか?の問いかけに、何もないという人もいます。どんな言葉も、さして嬉しいと思わないと。 これは概ね男性に多いようですが、やはり勇気づける言葉が必要になる時が、必ず人生の中で何度となく訪れると思います。 そして、それを誰に言ってもらえるかも大切なことかもしれません。幸福を感じるセンス。 その大切なセンサーをしっかり張り巡らし、磨く事が大切だと、常に脳が教えてくれているのですね。


「脳」はプログラムされている「できない」という言葉と共に停止し、「できる」という言葉とともに動きだし「楽しい」という言葉とともにフル回転する = 福島正伸  

 

 

2011年

7月

15日

幸せになる準備 (2)     2011

幸せになる準備(2)
音楽は、受身である事の楽しみも与えてくれます。 受身でいることはまるで消極的な事の様に捉えられますが、実際はこれほど学びの大きいことは無いように思います。 もし、全てを受け入れる態勢と器があれば、こんな強力な武器は他にないでしょう。 
ここから、音楽の話しとは大きく外れてしまいますが、受け入れる態勢を整えて生きていくと言うことは、簡単な事ではありません。 受け入れている振りは出来ても、本当の意味で「事、状態、人」をその時々で受け入れるのは、容易な事では無いのは、流れてくる毎日のニュースが教えてくれています。 誰かと比べて見栄を張ったが為に、追い詰められてしまう人、現状を受け入れられず、変える事の出来ない過去にこだわったり、あの人さえ変わってくれたらと他人に期待したり。上手く行かない事の理由を、自分以外に求めるのは、一見すると正しいように聞こえたりもするものです。 こんな事を書いている私自身も、長い間この受け入れる事の難しさに悩まされてきたし、現在に至っても上手く行っていない事が多々あります。 でも、受け入れる事は、自分自身を幸せにする土壌作りをしているようなもの。
もし、今の状況、環境、自分自身を受け入れて、自分のその時出来る事は何かを考え行動したなら、望んだ安らぎ、平穏、優しさ、信頼を手繰り寄せる事ができるでしょう。 ただ、心の中の闇は消える事が無く、物事が上手く行っている間は、遠ざけている事が出来るかもしれませんが、いつでも、隙を見ては近づいてきて、どうしようもない役にも立たない言い訳や悪いアイデアを囁いてきます。 その時に潔くその囁きに耳をかさず、源は自分にあると一度肝を据えてみるのは、中々に格好いい事なのじゃないでしょうか。 勿論、自分に対して言っている事ですが。 

2011年

7月

12日

幸せになる準備 (1)     2011

5月、7月と企画したコンサートが無事終わり、目標の達成が出来、いらして下さった方々に本当に心からの感謝と、そして、素晴らしい演奏を聴かせて頂いた仙台フィルの原田哲男さん、ピアニストの小川由希子さんに喜びと幸福の時間を頂いた事に深く御礼申し上げたいと思います。 お二人の息のあった演奏は勿論のこと、それぞれの曲への思いや、解釈、バックグラウンドまで、和やかな雰囲気の中演奏と共に沢山の事を教えて頂き、足を運んで下さったお客様同様に、新鮮な気づきと音楽家に対する親近感が増すことで、クラシックが更に身近で楽しいものとなりました。 そして、何より原田さん小川さんお二人の人としての素晴らしさは、特にお食事を共にした方々は、更に素敵なプレゼントとなられたのではないでしょうか。 一つ一つの音、旋律は時には懐かしく、時には切ない思いを聴く者に抱かせ、目に見えない音の世界は限りなく羽ばたき、観た事の無い場所や時代までも記憶の奥底から呼び覚ましてくるようでした。 特にチェロの音色は、良く最も人間の声に近いと言われていますが、それは、囁くように、訴える様に、狂おしく優しい響きでした。 抱きしめられ、突き放され、歌い、踊るような音と振動の連続は、こうも心地良いものかと、むしろ全て身を委ねてしまう事の快感に躊躇いを感じてしまう程です。改めて音楽の素晴らしさと危険さを思わずにはいられませんでした。 
お客様と「幸せな時間だった」「豊かな時を過ごした」「記憶を揺さぶられた」と潤んだような瞳で、会話を交わす事があるのですが、これはまるで恋をしている人達の会話の様です。 そうです。 演奏に集中している間、音楽と観客は演奏者を媒体として恋をし、情交をしているのかもしれません。
心の中に小さな秘密を持ったようにその喜びは、最初の音から誰にも知られず、聴いている本人だけがひっそりと育て上げ、空想し、触れ合い、交わっているのかもしれません。 時には、ローマの坂道を、或いはドイツの森の中を、そしてロシアの白夜を誰かと彷徨いながら、音との会話を楽しんでいるのでしょう。
幸福は、色々な顔を持っています。 日々、あらゆるところにそれは姿を見せているはずなのに、見つけられる人と、見つけられない人がいるのも事実です。 今この時を楽しみ受入れ、如何に時を作り上げていくか、そのイメージを自分の中に持っているのも、大切な幸せを受け入れる準備なのだと思います。 

2011年

6月

30日

バブル期、氷河期     2011

この頃、頓に感じられる事があります。20代、30代との価値感のギャップです。 年齢の差があるのだから、現在の私と彼らの価値感に大きな差があるのは当たり前なので、その事を言っているわけではありません。20代当時の私達と彼らとの間のギャップは、かなり大きい気がします。 当時は、如何に他者と違いを作るか、差別化に躍起になっていたので、とにかくあらゆる面白い事や、習い事、研修会、学習会、セミナー、ワークショップと大流行りだった事もあり、ご多分に漏れず私も焦燥感に駆られつつあちこちに顔を突っ込んだものです。 ついでに、海外への興味も大きくて、誘われればその国が地図のどこにあるのかも分かりもせず、飛行機に飛び乗り、誘われずともふらふらと妄想の旅に出たりしたものだ。いづれは、この土地で暮らすかも~、なんて思いながら。
だが、これは現代の若者にはあまりシンパシーを得られないようだ。 特に田舎の人たちにとっては、海外への(住む)あこがれも、自分を磨くための投資(お金を出す)も興味は持てないように見える。 都市部ではもう少し、積極性においては違うかもしれないが、MITやハーバード、オックスフォードへの留学生がかなり少なくなっているし、去年はハーバードの学部での日本人留学生はたった一人。ただし、イェールは過去最高の7名だったらしいが。ワシントンポスト紙によると日本は「草食動物(grass-eater)の国」に衰退したのだ」と言うことらしいが、全てにおいて草食系になってしまったのだろうか。
これには複合的な理由があり、必ずしも経済的理由、長い不況による内向き志向だけではないと思う。が、少なくとも現在の若い日本人がリスクを非常に恐れているのは確かでしょう。リスクを冒してまで海外で学び、ましてや職を探す事なんて論外なのかもしれません。事実、海外においての日本人の職業の地位年収は他のアジアの国々の人々に比べたら決して高くないようですし、価値や夢を見出せないのでしょう。 だとしても、自分の生まれた家から一度も出ず、地域を離れず、母国を他国から客観視する事もしない、その先に見えてくるものの内向的思考にやはり、不安を感じずにはいられない。それはガラパゴス化ではなくリスクを負わない、引きこもりなのじゃないかと。 傷つくことを最小限に留め、争うことは最初からせず、競うことを嫌い、負けても悔しがらない。
頑張れと言ってはいけないし、やりたくない事はやらなくて良い、自分らしさの追及。
特に違和感を持つのは、とにかく安く、出来れば無料で何かをしてもらう事への依存度の高さかもしれません。奢ってくれるなら行く、~がお金を出してくれるなら遣る、会社が~してくれるなら参加してもいい。 バブル期に十分に楽しんでおいてこんな事を言える立場ではないかもしれないが、自分への投資は自分のでするものじゃないのだろうか? 学ぶ事にしても、食べる事にしても。
ただ、どの道その価値(投資する)を見出してもらえなければ、ご馳走される事もないでしょうし、研修を受けさせてもらう事もなく、競争に参加さえできないのでしょう。 社会、世間とは、実に良く出来ていて、厳しいものですもの。 やっぱり自分で自分に手間暇かけるのが、最も有効でリスクが少ないと言う事かもしれません。

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2011年

6月

24日

自分の機嫌     2011

震災後、どうにもやりきれない毎日に支配され続けています。 それは、日常を取り戻す事への努力をして、やっとの思いで取り戻したその日常に今度は罪悪感を覚えてしまう。 気持ちを晴らすつもりで付けたイヤリングや、マニュキアが落ち込む理由になったりもして、最後には非力である自分を情けなく思い結局のところ項垂れてしまうのが常なのだ。
しかしだ、私が落ち込んだりへこんだりしても誰の得にもならない。 ましてや、今日の心配や明日の不安に立ち向かって闘っている人々にとって、役立つことなど一つもない。 第一私自身がちっとも良くない。 であれば、どうやって自分をコントロールしていったらよいのだろうか。 自分の今日の「機嫌を自分で取る」事が出来れば日々の暮らしはずっと楽になるはずである。 それで、セミナーでも提案しているのが、朝一番に自分に最高の挨拶を贈る事。起きて一番の言葉を自分で決めた、プレゼントを自分に贈る事ほど、正確で揺らぎないものは無い。誰からの影響も受けない、朝一番の気分を自分で決める事は、簡単でもあるし、続ければ必ず収穫を得る事が出来る。 
鏡の中の自分に向って、「あなたといると楽しい」、「笑顔が素敵だ」、「力強い」、「信頼出来る」、「今日も幸せだ」。何だっていいのだ、自分が嬉しくなる言葉をどんどん、自分に贈るだけだ。 朝一番の嬉しい言葉は、他人から聞く事を期待しても大概期待通りにならないものだ。 だから、自分で自分の機嫌を決める方が絶対的じゃないだろうか。
別に朝に限った事ではない。仲良くなりたい人に振り向いてもらい、相手から声をかけてもらうのを待っていたら、死ぬまで待っても埒が明かないかもしれないが、自分から声を掛けてしまえば、イエスもノーも結果は手に入る。イエスなら問題ないし、ノーならイエスになるための方法を考えれば良いのである。間違いなく、自分で船の舵を握っている事になる。
何事も、己が源。 踏み出す一歩は、自分の足である事を忘れずにいたいものだ。

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2011年

4月

02日

つながり     2011

kizuna311(http://kizuna311.com/)をやっと観られました。今まで、そんな「きれい事」を見る気になれなかったからです。でも、昨日仙台フィルの原田さんと連絡を取り、これからの事、今できる事、現状を話しながら、確実に私たちは前に向かって進もうとしていると、深く深く感動し考えました。 

被災している方々、犠牲になった方々、行方不明の方々、行方不明の届け出も出せない方々。 凄まじい数が日々ニュースで流されますが、その数の分、その数以上の生きた歴史と証が大きな自然災害の前に、揺れ動き、打ちのめされています。恐れと虚無感を抱えながらの生活は、これから想像を超えて日常の中に居座り続けるかもしれません。この災害を経験して、私はこれからあらゆるところで試されるでしょう。 
今までに起きた大きな災害の時に、自分は何をしたのか。そこで学んだことがあったんだろうか。全ては他人ごとでした。義援金は送ってもそれは、自分の安心の為です。良い人でありたかったから。もちろん、それは決して悪いことではないし、少しでも役に立ってくれるなら、自分の安心の為だろうが、売名だろうが、外国為替取引で儲けたお金だろうが、善意だろうが偽善だろうが、大きかろうが小さかろうが、関係無い。役立つことにどんどん送りたい。心底そう思います。 これから、子供達は問い続けていくでしょう。なぜ、死んでしまったの?なぜ、生き残ったの?なぜ、生きていかなければならないの?   一緒に答えを探したいと思います。

kizuna311の中の谷川俊太郎の詩に、改めて触れて、全く違った感情と深さに大好きな詩人であること以上に、この人間の大きさと言葉の力に、やはり感動せずにはいられませんでした。

「(中略)絶望にひたって生きていくことには意味がないという思いは変わっていない」「絶望を乗り越えるための他者とのつながりに必要なのは、無条件の敬愛だ。誰しも居場所がない、生きていていいのかといった思いに襲われることはあるだろう。そんなときは、まず誰かに手を差し伸べてみることだ。その手は必ず握り返されるはずだ。行動でもあり、精神の働きでもある。人は出会うと必ず別れる、出会った瞬間から別れる悲しみを内包して人は付き合っていくものだという、文学の根本にあるもうひとつの感覚が真実だとしても」 - これは、4月1日付日経新聞文化面に作家、伊集院静さんが寄稿されたものの一部を抜粋したものです。 

それぞれの人が受けた衝撃、悲しみ、肉体的精神的傷、それらすべての消す事の出来ない記憶。 
それでも、絶望の時を経て、再生への道を歩む決断を、それを支援する力を、ひとりひとり出来る事、他者とつながりながら、それぞれの分野でやることだよ、そんな風に私の心にこのメッセージは届きました。

 

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2011年

3月

22日

被災地への祈り     2011

20日にカウンセリングを交えながらの参加型セミナーが終了。
伝えたい事が沢山あって、出かける寸前までに迷った。省きたくない事があったから。
内容には十分な自信がある。もし、静かに心に届けることが出来れば必ず、いろいろな場で役に立ってくれるツールを、持ち帰ってもらえると。
でも、どうしても私は結果を、目に見える成果を早急に望んでしまう、押さえられない感情に飲み込まれる、エゴイスティックな自分も知っている。
半分の期待、半分の虚しさ、ほんの少しの成果。 先を急ぎ、返ってこない応え。 力の無さに、立ち止まってしまう。 でも、今回はそんな迷いや戸惑い、身勝手な見返りへの期待はずっと遠くにあった。

想像を絶する災害の前に、被災地の惨状に、まるで永遠に続くような瓦礫の海岸沿いに、もう取り戻せない全ての命に、明るい電灯の灯る下にいる事の罪の意識に、正直虚しさの前で押しつぶされそうだった。こんな事、受け入れられないと。悲しむ事さえ偽善だと。 
弱い、役立たずの私を救ってくれたのは、子供達。 そして、痴呆が始まっている母だった。 若い生命と、死に近ずいて行く年老いた知恵が、元気に何の屈託も無く笑わせてくれ、喜んで残り物のカステラを頬張り、膝の上に座り、歌を歌い、酷いジョークを言った。 

セミナーの最後に、伝えたい言葉があった。 偶然のあるいは必然の出会いは、たとえ傷つくことがあっても必ず感謝に変わる日が来ると、全ての経験は、いつかはあなたを、救ってくれると。 だから、踏み出す一歩の勇気を惜しまないで、恐れないでほしい。 今日、私も踏み出せずにいる一歩に、勇気を持ちたい。 皆さんと一緒に、歩きだしたいと。講師としては失格だ。不覚にも泣いてしまったから。 
駄目な自分が嫌いで、その自分がやはり愛おしい。 
被災地には行けないけれど、・・・役にも立てないだろう。
決断の遅い政府の対応も、進まない救済も、心ないマスコミも、イラつく。
そして何よりも、自分に、イラつく。
今日の私に出来る事を、精一杯やれなかった事、もっとできる事があったはずだ。 
今は、静かな気持ちになって、思いと共に祈ろうと思います。 明日の為に。 繋いだ命の為に。 眠れない夜を過ごす人たちの為に。 共にいます。 

 

2011年

3月

15日

3月11日東北大震災で被害を受けた方々への祈り


発生した東北地方太平洋沖地震におきまして、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、また甚大な被害に遭われました皆様方には心よりお見舞いを申し上げます。みなさまの無事と一日も早い復旧をお祈りいたします。

 

 

 

 


 

2011年

3月

08日

許容     2011

昔から「おおらか」と言う言葉に憧れていました。「おおらか」と言ってみるだけで、何とも言えず良い心持になり、心が穏やかにもなります。 テレビの中で誰かを表現する時にXXさんは非常におおらかな方です、と形容されただけで、見ず知らずのその人を、高く評価してしまいますし、その本人が何かの番組に出てきたりすると、「確かに良い人だ。おおらかだ。」と、何の根拠も無く尊敬してしまうのです。
なぜこんなにも「おおらか」に弱いかと言うと、私自身が全くおおらかではないからです。 今まで一度も、本当に一度たりとも「おおらか」だと評価された事がありません。小さいころから割と神経質だった事もあり、細かい事に目が行き、小さな事を考え続けたり、悩んでみたり。 くよくよして、時を過ごしたり。そのお陰で、随分と無駄に暗く変に考えすぎて、勝手な解釈に自分自身の首を絞めていたような気がします。
今考えても実につまらぬ事に囚われ、疑心し、更には人を受け入れられずに拒絶を繰返していたと思うのです。小さい頃は、大人になればおおらかな人になれると信じていたのに、一向におおらかな要素は育つ気配も無く、三つ子の魂百までの通り、現在に至るまでさしておおらかではありません。 しかしながら、何故おおらかさにこだわったのかは、分かってきたような気がします。おおらかでない自分が非常に苦しかったのだと思います。
おおらかでない、つまりは他人や自分の欠点を許容する事が出来ず、ぐずぐずと悩んだり、我慢や忍耐に嫌気がさして、他人を拒否する。その事で何とか自分を正当化した、その方法が辛くて仕方なかったからでしょう。 だから、ゆったりと構え、小さな事にこだわらず、ドーンと大きい度量を持った人が羨ましくて仕方がなかったのです。一体どうやったら、許容範囲を広くして、度量の大きな「憧れの人」になれるのだろうと、真剣に考えた事もありました。
試しに、ゆっくり歩いて、話し方もいつもと違い物凄くゆっくり、眠くなりそうなくらい、間延びをさせて「おおらか人間」を気取ってみても、結局のところ我慢できず、ホームに滑り込んできた電車に間に合うように全力疾走してしまうのです。 おおらかになるための修行は直ぐに挫けるのでした。 それに、私の周りにいる憧れのおおらかさんと話をしていると、結論が出るまでに時間がかかるので、我慢がならずあちこちはしょって、せっかちに話を進めてしまうし、子どもの失敗を何度も何度も忍耐強く見守る事も大変な苦痛です。 つくづく許容量と範囲の少ない小さな人間だと、悲しくなってしまうのです。 おおらかさとは、許容出来るという事なのかもしれません。 単純に言えば許し、受け入れられるという事になるでしょうか。 そうなのですね。 許し受け入れる事が出来ないから、おおらかでいられなかったのです。 他人を受け入れられるようになるには、忍耐が必要でしょうし、忍耐を磨くためには経験が必要です。 今よりも経験値が低かった私は、当然いろいろな事に、憤慨し、戸惑い、理不尽さや無知からくる失敗、叱責に反発し、許容できない事に苦しんでいたわけです。 しかし、少しづつではありますが、経験を重ね、人と交わり、結婚をし、他人と暮らすことで受け入れざるを得ない事が沢山出来、子どもを育て、子どもに教えられ、仲間が出来、許される事を知りました。 周りの人に許され、あらゆるものを与えてもらいながら、何とか社会で生きる術を得て、おおらかにはなれていなくとも、少なくとも以前よりは、許容範囲や許容出来る量が大きくなってきていると思います。
憧れの「おおらかさ」はまだ、ほど遠いのですが、間違いや失敗を重ね、何とか立ち上がって前に進むことで、少しは近づくのでは無いかと期待しているのです。 出来れば大らかな気持で、悠々と死んでいきたいと夢見ているのです。

 

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2011年

2月

04日

自分らしさについて    2011

質問「自分らしさ」について答えます

私なりに、自分らしさを考えてみました。

良い質問ですね。と池上さんならおっしゃるのでしょうね。 「自分らしさ」について、考えた今、現在での私なりの思いを書いてみます。
最初に、条件として「自分らしさ」を感じるセンスと、自分のやりたい事、ありたい状態が考えられる能力があることが前提にあると思います。
自分がどういった状態であると最も心地よく感じられ、自分を信頼でき、自分を愛する状態になるかを知っているという事です。これが、もし分からなければまずは、その陽のあたる豊かな場所を探す事から、始めないといけないかもしれません。
「自分らしさ」とは、先ずは自分自身にとって非常に心地よい状態や、考え思考、哲学、生き方全般があると思います。
当然それは年齢とともに、変化していくもので、経験、知識、環境によっても変わっていくものでもあると思います。
これが主観的自分らしさの追及とすれば、もう一つは環境の受け入れがあると思います。自分の主張、「らしさ」の創造と継続。これは、回りの環境、人間も含めて、地域社会、時代が受け入れてくれるということも非常に大切になって来るように思います。 例えば、お相撲さんが自分らしくいられるのは、勝ち星を出していづれは横綱になる事が、力士としての在り方であるとするなら、その為に必要な体力と身体づくりをしていく。そして、日本という国は、古くから歴史を持っている「相撲」を受け入れ、精進する事への敬意も払う。そこで、生計も立てることが出来るので、「相撲道」を貫くことが、生き方として認められているし、現役力士は目標、目的、夢を持っている間は、「自分らしさ」 =「力士」としての精進として、表現出来るのではないでしょうか。 しかし、もし100Kgを超える力士が、現役を止めてしまった時は、回りの状況が違ってきます。 元力士は、土俵という表現の場を失うわけですから、一般的にはただの太った力持ちと化すわけで、そこでの安らげる「らしさ」の表現は、取りあえず一旦は失われてしまうわけです。環境が変化したので、ここからはまた新たな、自分らしさを見つけだすための、変化を自らも周りからも期待されるはずです。 
「自分らしさ」は、自分の中の主張と特質、夢、希望と環境とのバランスの上に成り立っていると、現時点では私個人は思っています。
は~、前置きが大分長くなってしまいましたが、それでは一体私らしさとは何なのか、良い機会を頂いたので必死でふり返ってみました。己を。
完結に言うと「共感性、コミュニケ―ションそして社交性。人とのかかわりの中に喜びを見だしている」のが私であり私らしい生き方です。
分かりました、要はお節介おばさんであることが私らしさです。

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2011年

1月

13日

素直      2011

「素直である事」が、まるで神からの贈り物のように思えるようになったのは、最近の事です。   子どもを授かってから子育が、沢山の親として、人間としての学びに溢れている事を知り、その一つに「素直であること」の素晴らしさがありました。 小さな子ども達は時には天使のように「素直」に親の庇護のもとすくすくと育ち、物心ついてからの大半は、恐ろしい程のエネルギーのほとんどを、自分の欲望に「素直」に行動し、意見の主張に費やしていました。 親、特に母親と子どもは戦争と停戦、交渉と和解を繰り返しながらお互いを育てていくようで、その時々には、匙を投げそうになることもしばしばでした。
親にとって素直じゃない、可愛げない我が子に、うんざりさせられたものです。 ところが、その「あまのじゃく」が信じられないくらい素直になる時間がありました。 それは、好きな事をやっている時。 好きな人と一緒にいる時。 この時は例外なく、嘘のように素直に従順に出来るわけです。 例えば習い事のレッスン中の集中や真剣さ、真摯な態度、大好きな友だちや先生といる時の、協調性。 それは、笑ってしまう程あからさまで、驚くほどの素直さでした。 考えてみれば、親への反抗も包み隠さない素直さの表れ。 ちょっと乱暴だけれど、あの反抗の一つ一つは子どもからのプレゼントだったのでしょう。 当時は分からなかったけど、今となればその意味がハッキリと理解できます。 
大人への成長過程で、沢山の傷を負う度に鎧を重ね、素直ではいられなくなってしまう。 攻撃から身を守るように、本来の素直さや、正直さを心の奥底に仕舞い込む。本当の事は誰にも言わないと固く誓って。 だから、「素直」はつくづく宝物だと思えるのです。 その鎧を敢えて脱ぎ棄て、堂々と身一つで立ち上がろうとするその潔さ、恐れを超えた先にある、その強さは、魅力に溢れ、神の贈り物として輝きを増すのでしょう。 
 

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2011年

1月

03日

トンプソン 「成功とは」     2011

「Success」by RalphWaldo Emerson

(成功とは)

To laugh often and much; 
(よく笑うこと)

To win the respect of intelligent people and the affection of children; 
(知的な人からの尊厳を得、子供たちに好かれること)

To earn the appreciation of honest critics and endure the betrayal of false friends; 
(良い評論家に認められ、見せかけの友人の裏切りに耐えられること)

To appreciate beauty, to find the best in others;
(美しいものが分かり、他人のよいところを見つけられること)

To leave the world a bit better, whether by a healthy child, a garden patch or a redeemed social condition;
(この世を少しでもよいものにして去ること。それが、元気な子供を育てることや、庭を造ることでも、社会問題を解決することでもよい)

To know even one life has breathed easier because you have lived. 
(そして、たった一人でもいいから、私の存在によって心が安らいだ人がいるということを知ること)

This is to have succeeded.
(それができたら、人生は成功だったといえる)

 

2011年私は、この詩を大切に胸に抱いて生きます。

 

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2011年

1月

02日

2011年 新年に向けて

新しい年、新しい自分

2011年も幕が開き、新たな気持ちで日々を迎えたいと思っています。 一日一日が、いかに大切かをつい忘れて、健康であることは勿論、動ける事、話せること、食事が出来る事、泣ける事、笑える事、これらを当たり前と思ってしまうのですね。 怪我や病気になった時に、その有難さを痛感するのに暫くするとまた、忘れてしまう。 如何に自分が自分勝手で、傲慢な生き物かを時々省みて呆れてしまいます。
それでも、さすがに新年を迎える時は多少なりとも神妙に、新しき年にいろいろと決めごとや誓いをたてたりします。 でも、結局はそれも全ては健康であることを前提としているわけですから、あらゆる約束も、結局は生きていてこその事。 当たり前の事ではありますが、とにかくどんなであれ、生きて行く事、生き抜くことが大切だと感じています。 まだ見ぬ人たちとの出会いや別れ、受け入れがたい苦しみも含めて日々を一生懸命生き抜いていきたいと思っています。 そこにこそ、新たな発見と自由、喜びがあると信じています。

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2010年

12月

25日

2010年 Miyuki Blog

2010~ ☆クリスマスコンサート 音楽とのランデブー☆ ~

戸澤哲夫~リサイタル・ロマンチッククリスマス~
戸澤哲夫~リサイタル・ロマンチッククリスマス~

クリスマス、音楽とのランデブー《rendez-vous》

2010年もいよいよラストスパート。 師走とはよく行ったもので、本当に僧侶も年末の仏事を無事務める為に慌ただしくなる様に(諸説あるのでしょうが)まるで一カ月は駆け抜けるような忙しさです。
多分、年を重ねた結果一年がとても速く感じるのかもしれませんが。 12月23日天皇誕生日のお祝いの日に、わたくしといつもお世話になっているグリーンパレス飛鳥さんとの共催となる「クラシックコンサート」を無事終了する事が出来ました。今回が第二回目となり、聴きにいらして下さった皆様の応援と演奏者の方々のご協力を頂いての開催でした。
4月の第一弾「戸澤哲夫ヴァイオリン名曲リサイタル」の時には、常連の方々も、始めてクラシックをライブで聞かれた方々も、本当に心から楽しんで下さり、直ぐにリクエストを頂き、シリーズ化する事が決まりました。 第一回目はこの地での最初のコンサートでしたので、出来るだけ耳馴染みの良いものを曲目に選んで頂きましたが、そこでの皆様の集中と興奮は驚くほど心地よい緊張となって、私にひしひしと伝わって参りました。 正直最初は、演奏者お二人の素晴らしさは十分承知していても、初めてのお客様の反応は想像できませんでした。 それが、こちらの想像や想いを超えた応援の反響に、非常に嬉しい驚きと、感謝を致しました。
第二回目は、曲目にもバッハの無伴奏パルティ―タ第3番Ⅰ~Ⅵ、ベートーヴェン・ヴァイオリンソナタと一層深みを増し、聴く側もこのシリーズを通して、クラシック音楽が身近なものとなっていく事ができるのではないでしょうか。 
それにしても、冬の凛とした空気の中でのヴァイオリンとピアノの音色は、何と心地良いのでしょう。 その、緊張と解放の絶妙さは、音楽に身を委ねる大きな喜びの一つでもあります。パガニーニのカンタービレから始まり、ドリーブの楽しく可愛らしいピチカート、ヴィヴァルディの冬。いづれもどこかで聴いた事のある、名曲ではありますが、目の前で聴くのとCDやTVから流れてくる音楽とは、こんなにも印象が違ってくるのか!と感じました。 冬の雨音と暖炉の様子や、激しく吹雪く外の景色は、目の前に展開される映像の様に鮮やかで、激しさや、暖かさを観客が同時に感じたような一体感をもたらしていました。 特に無伴奏の一気に息を詰めて、音と弓の動きに全員が細い一本の糸になったように張りつめ、緊張を高めて行く時の何とも言われぬ、至高の喜びと興奮。音楽の旋律が目に見える一瞬でもあります。
それを、多くの方々と共有出来た事の幸運、幸福。何物にも代えがたい、クリスマスの最高の贈り物となりました。 来年から更に、多くの方々とこの喜びの時間を分かち合いたいと願って、シリーズを深めていきたいと思っております。 
寒い中遠くからわざわざ足を運んで下さった皆様、いつまでも凍える寒さの中で最後までお客様を見送って下さったヴァイオリニストの戸澤様、ピアニストの小川様。 この暖かい光景を見つめつつ、悲惨な事件も災害も、強く生き抜いて行く事の勇気につながって行くような、エネルギーを与えて下さいました。
私にも、これからすべきことが少しずつ分かってきたように思います。 さあ、2011年どのような年になるのか、本当に楽しみになってまいりました。 来年も、イベントが続々決まりつつあるので、出来るだけ多くの方々とお会いできることを喜びとして、新しき年に思いを馳せています。 どうか皆様、お体に気をつけて良いお年をお迎え下さいませ。いつかどこかで、きっとお会いいたしましょう。

 

2010年

12月

23日

クリスマスコンサート 予定曲目      2010

2010年12月23日  クリスマスコンサート 予定曲目です。

 

ベートーヴェン  ヴァイオリンソナタ 第1番 ニ長調 op.12-1
ヴィヴァルディ  「四季」より  "冬"
シューベルト   アヴェ・マリア
クライスラー   愛の喜び
パガニーニ    カンタービレ

(順不同)

 

 

尚、演奏終了後アーティストお二人と一緒にお食事会もご用意いたしております。
「飛鳥」のコック長が美味しいフレンチ、イタリアンを腕をふるってお待ちしておりますので、ぜひ、ご一緒致しましょう。ここでしか聴けないクラシックや、映画カンタービレの裏話が盛りだくさんです。
予約が必要ですので、お早めに。 バッフェスタイル、ソフトドリンク飲み放題で料金は、¥2,000です。

2010年

12月

05日

必然       2010

お台場カフェにて
お台場カフェにて

12月5日のバスツアーも、無事終了し参加者の皆様はそれぞれの出会いと、思いを抱かれて一日を過ごされたことと思います。 常々歯がゆさを感じてしまうのは、参加して下さる方々が、本当に求めているのは、一体どんな事なのかが伺い知れない事です。私たちマリッジ・サポーターが出来る事は、出会いの場を企画する事で、お一人お一人の心の中まで踏み込むことは当然ながら出来ません。
この一年は、セミナーを開催する事で皆さんと向き合う事に積極的に取り組んできましたが、それでもその一歩だけではまだまだ、信頼関係を築いていくことは難しいのかもしれません。 実際、ご本人も自分が望むパートナーを具体的に想像出来ずにいるのかもしれません。 人と人が出会うという事に何一つ無駄は無く、一つ一つを大切な繋がりと感じる事が出来た時には、必ず自分を必要としてくれる人、自分が必要な人が現れると信じます。
行動した自分の勇気を認め、更には相手の勇気も認めて受け入れてほしいと思います。 気が合う人、合わない人全ては必要な人々で、一時嫌な思いをしたり、悩んだりすることも全ては後に役立つ大切な出来事。 そして、出会った人の何倍もの人がその人の後ろにつながっていることを想像してみて下さい。 あなたが求めてやまない、そしてあなたを心から探している人が、そこにいる事を。 どんな人も、どんな出会いも無意味ではない事がいつか分かる時が来ると思うのです。
自分を愛するように、出会ったその事を愛せたら生きて行くのはどんなにか楽になるでしょうし、一日、一分、一秒が一層大切に思えてくるはずです。 今この時を生きる。 これが望むべき幸福を手に入れる最大の武器かもしれません。

 

2010年

11月

24日

結婚       2010

11月22日に、私と町が共催したイベントに参加して下さった方お二人の、結婚式がありました。
出会いから結婚に至るまでのプロセスは、つぶさに報告がありどのように進展していったのかが、分かっていたので、まるで、親か親戚のおばちゃんの様な気持ちで見守っていましたが、それでも、式を迎えるまでは、気が気ではありませんでした。結婚を決意するということは、決して軽々しく決められる事ではなく、具体的なことを決める段階になると、大概は自分たちだけの「式」ではない事に気づかされます。 自分達は主役であるけれども、ホスト、ホステスでもあるという事、家族、親戚を決して蔑にできないという事、それぞれがいろいろな思いで、新しい家族を迎えようとしている事、理想と経費とのバランス。 そう、こればっかりは、やってみなけりゃわからない。 ハリウッド映画の様な出会いをして、フランス映画の様に運命の恋に落ち、ロイヤル家の様なウエディングをしてみたいと思ったとしても、いざ、計画を実行しようとすると思いもよらない厄介なことが、次々乗り越えるハードルの様に現われてきたりもします。
それでも、そん障害をもろともせずに、むしろ楽しむくらいの情熱と勢いが、結婚という儀式には必要で、更なる努力と忍耐、楽しむ事の機転とユーモア、知恵と勇気が、結婚の継続に費やされ、器量を試されます。「少年ジャンプ」の主人公達の様に、成長するためには、リスクを背負って、「結婚」と言う冒険の旅にでていくわけです。 「う―面倒、そこまでして、一緒にいたいと思わない」と、思ってしまうのも頷けます。えー、気持は十分わかりますとも。それなら、自分の好きなことをして、好きな人とだけ付き合って、隣近所の冠婚葬祭なんかに無理やり出席する事も無く、気楽に一生を過ごしたい。 それで、いいと思います。 自分のDNAなんぞ受け継いでくれなくたって、もっと優秀な遺伝子をもった子どもたちが、日々生まれているわけですから。 独り身でいることは、強さと勇気が必要ですが、その事さえ責任が持てれば、選択として決して悪くないと思います。
ただ、自分以外の笑顔を毎日見られる事の喜びを、パートナーが教えてくれているのも事実なのです。

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2010年

10月

18日

寂しさのわけ      2010

残業で疲れ果てた体を引きずるように家路に着く。 ふと見上げる自分の部屋の窓。 両親と一緒であれば、家には明かりが灯っているでしょう。 でも、もし独り暮らしだったら、その窓は真っ暗でひっそりとしているはず。 想像してみて下さい。 厚手のコートを着込んで、マフラーをしっかり首に巻き、手にはミトンをはめている。 (手袋じゃ無く)冷え切った体を早く温めたくて、必死で鍵をカバンから出そうとするがなかなか見つからない。 やっと引っ張り出したかと思うと、今度は暗くて鍵穴に上手くキーが入ってくれない。 イライラして、ミトンを外し凍える手で、鍵を回す。 ホッとして部屋に足を踏み入れて、灯りをつけるスイッチを探す。 蛍光灯の白々とした明るさに浮かび上がったのは、今朝のコーヒーが飲みかけのままテーブルの上にポツンと一つ置いてある。 部屋が暖まるまでには、まだ、大分時間がかかりそうだ。 コートを着たまま、座り込むあなたが思うことは? 一体、どんな一言が口を突いて出てくるのでしょう。
選択理論心理学では、結婚適齢期の定義について「独身生活が最も充実した時」と言っています。 最も充実して、毎日を豊かに過ごしている時。 一人でいる事を既に充分に楽しんでいる時。 なら、何故結婚を考えるのか。 一人でいるのが楽しいのに、敢えて誰かと一緒に暮らす理由は? 
充分に楽しい独り暮らしの毎日だとしても、寂しさはあるはずです。 その寂しさの出所を考えてみると、ハッキリと見えてくる事があるように思います。 独りでいるのが不安で寂しいと感じ、誰かと一緒に暮らしたい、誰かに優しく肩を抱いてもらいたい、あたたかい温もりを感じたい。 話を聞いてほしい、寂しさを感じさせないようにそばにいて、空虚さを埋めてほしい。 もし、それが人と一緒にいる理由だとしたら、まず、間違い無くいずれ二人の関係は破たんしてしまうでしょう。 自分の中の寂しさ、空虚を誰かに埋めてもらいたい、何かを与えてもらいたいと願うことから、パートナーを探し求めるのだとしたら、満たされたと感じる事が出来ず、ひたすら相手に求め続ける事になるはずだからです。 ところが、自分の生活や仕事に満足し、日々に喜びを感じている人間が感じる寂しさは、「与える」事に飢えた寂しさになるはずです。 幸せや喜びを分ち合う相手がいない事に、寂しさを感じ常に誰かに溢れんばかりの愛情を注ぎたい、と思っているはずです。 
寂しさのわけ、まるで算数の数式の様に、イコールの後の答えは同じでも、そこに至るプロセスは全く違う数式。 一方は、引き算でどんどん引いて行くうちに、結果が=0になり、一方は掛け算を重ねて最後にかけるものが無くて=0になったように、一人の寂しさは一体どこから来るのかによって、全く違う「相手」探しを始めるはずです。
喜びを与える相手と与えてもらう相手。 良い相手と巡り合えるのは、「縁」かもしれませんが、その「縁」を作る心の在りようは、是非とも「与える」心の求める結果であってほしいと願います。 愛情が溢れだした時、その時こそが間違い無く「適齢期」になるはずです。

 

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2010年

10月

07日

コメディ      2010

最近立て続けに、ラブコメディをレンタルDVDで観てみました。もともと、コメディは大好きなのですが、結局いつもお気に入りの俳優で選んでしまいます。悲劇より喜劇の方が作り手の立場に立ったら難しいと思うのですが、どうしても映画の価値観としては、シリアスやヒューマンなドラマの方が上、という判断をされているような気がします。アメリカのアカデミーでのプライズも、良質のコメディであっても、中々作品賞を取る事が出来ないのが残念です。
人を笑わせるというのは、とても楽しく知的な行為。言葉や仕草を駆使して、他人を楽しませようとするのは、人間にしかできない非常に価値のある遊びであり、表現であり、時には生き残る知恵ともなります。イタリア映画「ライフイズビューティフル」で描かれている様に、どんな環境の中であっても、希望と笑いがあれば人は生きていこうと、あらゆる知恵と力を生み出すのではないでしょうか。このロベルト・ベニーニ監督、主演の素晴らしい作品は、多くの部門にノミネートされていたにも関わらず、3部門のみでの受賞でしたが、脚本賞を取っても良い映画でした。
さて、今回私が見てみたのは、サンドラ・ブロック「あなたは私のムコになる」ゼタ・ジョーンズの「理想の彼氏」アイラ・フィッシャーの「お買物中毒な私」、キャサリン・ハイグルの「幸せになる為の27のドレス」「男と女の不都合な真実」ケイト・ハドソン「10日間で男を上手にフル方法HOW TO LOSE A GUY IN 10 DAYS」です。
それぞれに、似たような設定があったり、これは定石ね、と思うシーンやストーリー展開だったりと勿論並はずれた脚本という訳にはいかないかもしれませんが、出演者が良かったり、交わされる言葉のやりとりが洒落ていて面白かったり、弾けた勢いがあってありえない事も、ロマンチックに楽しめたりと、感想は様々ですがどれもそれなりに楽しめました。 カッコ良く、強い女性たちも魅力的ですが、ユーモアに溢れ笑わせる事を楽しみとしている女の人たちも大好きです。大好きな「クラーク・ゲーブル」が愛妻のキャロル・ロンバードを称して、「ハリウッドには美しい女は沢山いるが、面白い女はめったにお目にかかれない」といって、天真爛漫でコメディセンス抜群の美しい妻を褒め称えていました。ジョークや人を笑わせるのが大好きなキャロルをゲーブルは、死ぬまで愛し忘れる事が出来なかったのでしょう。不幸な事に、ロンバードは飛行機事故で本当に若くしてこの世を去ってしまうのですが、その後のゲーブルにとって最も幸せな時期は、キャロルと過ごした時期だったようです。
それはさておき、もし、誰かを笑わせた経験がおありでしたら、お分かりになると思いますが、人が嬉しそうに、或いは楽しそうに笑ってくれた時ほど、喜びを感じる時はありません。ジョークが受けたり、話を面白がって熱心に聞き入ってくれ、大笑いしてくれたり。相手を笑わせる事が出来たら、8割以上その人との関係は良好に進める事が出来るはずです。
人を笑わすテクニックがあれば、営業も上手く行くでしょうし、頼みごともスムースに進むでしょう。デートの誘いも、断られる可能性はグッと低くなります。
人を笑わせる=リラックスさせ、気持ちを解きほぐし、楽しいムードを作り上げる。これが出来れば、殆どの事は決して厄介で無く、面倒でも無く、楽しみへと変わっていくはずなのです。映画の中に、その大切なヒントがあちこちに隠されているので、アクションやサスペンス、ホラーばかりではなく、時には目先を変えて思いっきりラブコメを楽しんでみてはいかがでしょうか?
案外見逃していた簡単な事に気づくかもしれません。

2010年

9月

24日

視野      2010

先週から今週にかけて、イベントが続きました。
それぞれは、全く違ったコンセプトなのでいらっしゃる方々の目的は違うのですが、共通点もあります。自分の行動で参加したという事、そして、人との出会いが必ず生まれるという事です。イロハかるたの最初は「犬も歩けば棒にあたる」ですが、人が行動すれば人に行きつき、何かしらの変化や次へのステップが生まれてくるものです。
行動も、自分からの発信もなければ他者と繋がる「ツール」はかなり限られてきて、創り出す世界も限界があるかもしれません。勿論、一人が創り出せる世界が小さい訳ではありませんが、多くの人と関わり合い、創造する方が可能性が何十倍何百倍にも広がっていく様は、算数の数式以上の広がりがあると思います。
現在は、メールやネット上でのやり取りと出会いが、今この一瞬の間にも、数え切れないほどの人々の間で交わされ、通信上の交際が盛んです。しかし、それでも現実にその「相手」と会うのと、通信と写真、動画上で知る「相手」との間には絶対的な、迫力と全ての感性に訴えてくる、圧倒的な情報量に大きな差があります。
自分の生活、日常の中に他者が存在し、他者の中にも「私」即ち自分が存在する。大切な人であれば、それは大切な引き出しの中に慈しみながら存在し、嫌な思い出の中に住む人々は、そのように区分けされた引き出しの中に、仕舞われる。自分以外の人々の引き出しは、勝手に手を出して整理出来ないけれど、少なくとも自分の引き出しの中はどのようにもコントロール出来、引き出しの中身も入れ替えられます。時々は、その中身を、視野を広げて整理してみて、新たな気持ちで受け止めて見ると、そこには違った新しい見方、考え方があるかもしれません。最初の出会いで受けた印象と、成長した今の「自分」は受け止め方に大きな変化があるかもしれないのです。その時、願わくば多くの愛の引き出しを持ち、季節の変わり目に衣類を整理し入れ替えをするように、その度毎に、その引き出しが多くなる事を、その中身が深みを増し豊になる事を。
それには、いづれにせよ多くの経験をする為のチャレンジ、行動の絶対量を増やすことは大切になってくるでしょう。沢山の引き出しを一生の間にどのくらい作り出せるかは、ここに鍵があるのかも知れません。

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2010年

9月

01日

表現する      2010

あなたの夢は何ですか?望みうる最高の状態はどのような状態ですか?理想のあなたは、どんな人?本当に欲しいものは何?本当にしたいことは?何のために?誰の為に?出来るだけ明確に、詳細を書き出してみてください。細部まで想像して、表してみましょう。
これは、25年前に受けたあるセミナーでの質問です。外資系の銀行で働いて、1年程経った頃でしょうか。同僚に誘われて行った、当時流行っていた自己啓発セミナーでした。「自己啓発」などと言うと如何にも怪しげで、何かおかしな事をさせられたり、買わされたり、もしくは危なげな信仰を持たされたりというイメージがありますが、幸いな事に、そこでは本来自分が望んでいる物や状態を探して行くための方法を、ゲームやグループでのワークによって見出すことが目的だったので、高価な何かを買わせられることもなく終了しましたが。ただ、そこでの体験は、私にとってはとても大きく、それまで漠然としていたことが明確になり、何より、受け入れられなかった自分自身を受け入れ、愛せるようになったのは、本当に大きな収穫でした。
私自身もセミナーやアドバイスをする時に、出来るだけ望む状態を明確にして本当になりたい状態、必要なパートナーを見つめていくことを勧めていますが、これが意外に難しいのです。望む事を常に四六時中考えているのであれば、質問に間髪いれずに答えられるでしょうが、夢、望みを明確にするという作業は日常の忙しさの中、隅に追いやられてしまい、クリヤーだったものさえ時にはおぼろに感じ、忘れさられてしまう事さえあります。だから、成功達成法の著書の多くは「文字に表す」「毎日声に出す」「何度も思い浮かべる」事を強く勧めます。何度も言うようですが、それらは日常の中に埋没してしまいがちな物だからでしょう。今直ぐに必要でも、叶えなくてはいけない程切羽詰まっている状態でもないとすると、順番は徐々に後ろに追いやられ、ついにそれは叶えられないまま、命の方が先に尽きてしまう事を成功者や先人の賢者は知っているが故に、何度もこの「確認」と「表現」を説くのでしょう。
表現は、時には自然に、時にはもどかしく、時には沈黙で自分以外の人々に伝えていく大切はコミュニケーションツール。それは、言葉であったり動作であったり、表情であったり、文字であったり。いづれにせよ、自分の思いを充分に伝えていく事の如何に難しいことか。でも、それは自分自身に対して忘れないよう伝え、記憶させる大切な思いでもあるはずです。恐れず表現する事。表してみること、明らかにする事。そこには、知らない自分がいるかもしれません。それは、リスクを引き受けてでも知りたい、新しい自分自身かもしれないのですから。

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2010年

8月

03日

小西克哉&武田一顯記者憂国放談1   2010

イベントの仕事を始めてから一年と少し。小さなものも含めれば月に1~2回は何らかの企画開催を、続けてきましたが、同時に勉強も含めいろいろなイベント、コンサート、芝居なども出来るだけ観に行くようにしました。その中で、今まで知らない世界の方々とお会いすることも出来、実りの多い一年でした。ありがたいことです。銀座でのイベントも、縁と縁がつながって、異種混合イベント開催となりました。兎に角、何もかもが初めてなので、どのようになるかは、現時点では想像もつかないのですが、皆様が興味を持って下さって、それぞれのパフォーマンスを楽しみ、満足して頂けたらとても嬉しいなと思っています。 
そして、一昨日の夜(8月1日)のトークライブ「憂国放談ーニュースさかさめがね vol.1」小西克哉&武田一顕両氏の政治とマスコミの裏側放談は、実に面白かった。メディアには流せない事も、トークライブの場であればかなり「放談」出来るという事もあり、興味が尽きずもっともっと聴きたかった。出来れば、毎月のライブにしてほしいくらいでした。ラジオやテレビではスポンサー、宗教、政治の縛りがあり(実際はもっと、怪しく危ない人々も)深い報道や裏側の事情(真実)は一切表には出てこなかったりします。それがトークライブだと、大分自由な発言が出来「他言無用」となれば、多少の偏り、乱暴さもパーソナルな魅力がにじみ出て、ファンにとってはこの上なくワクワクする楽しさです。鳩山首相退陣の裏話、小沢一郎という人、マスコミ報道の不可思議。何とも政治は魑魅魍魎。後半、参加者からの質問コーナーがあり、ミーハーな私は「こりゃ、質問読んでもらわにゃ面白うないわい」と、考えた末「政治家として力量のある人、期待できる人は誰ですか?もし、いないとしたら、この日本の危機に何故出てこないのか(憂国)」と、質問用紙に書いて出したのでした。もちろん勝算ありありの、無難でしかも未来に繋がりそうな質問。最後締めの質問となった事で、かなり満足。そしてその答えは、詳しくは書けませんが結局のところ、小沢さんと言う人はジャーナリストにとっても、政治記者にとってもかなり興味深い人だという事が分かり、多分一般人には全く知らされない小沢ドクトリン、小沢セオリー、イデオロギーがあるのでしょう。 武田一顕記者は、「小沢言語の忖度」に付いて話した後、小沢さんと言う人は、何故ハッキリと指示、主張、考えを明らかにしないのか、との問いに「政治とはそういうものだ」と答えていらっしゃいました。政治家に必要な資質はいろいろあるが、交渉事はその中でも重要な一つ。発言の中に、必ず幾つかは曖昧な、どのようにも取れる言い方をして、相手の出方、世論の反応を伺ったうえで、ぬけぬけと言い抜けたりひっくり返したりをしていくのは当たり前で、いちいち正直に応えている馬鹿はいないという訳だ。確かに、その通りである。
プロの政治家なれば、どのような時にも、次の一言に詰まる様な事があってはならず、人睨みで相手を黙らせることも、懐柔する事も、人をたらしこむ事も出来ないでどうするという事でしょう。不思議なのは、小沢さんの後継者は武田記者に言わせると「いない」ということでしたが、自身は田中派後継者のひとりでありながら、結局小沢さんは自分の後継者を作る事は出来なかったのか、作る気もなかったのか。彼の下からいずれ皆去って行く理由の、分析をお聞きしたかったが。小西さんのプチ思想遍歴披露において、田中角栄の流れから当然のごとく、小室直樹氏と立花隆両氏の名前が出てきて、ロッキード事件で対峙する二人の間に思想的に挟まって「どうしたらいいの」ってな感じで・・・・と笑いをとっていましたが、そうか!と少ない知識と脳味噌で考えたのだが、宮台真司氏は勿論の事、武田記者も、小西さんも、小室氏の流れを受け継いでいるのだなとぼんやりと思ったのですね。政治家と市民の道義は違い、清廉潔白な人間が政治家になるのではなく、政治力のある人間が政治をやればいいと、国民の豊かさと、政治家の身の潔白とは何ら関係ないのだ!という事。たぶん、それは多くの国民が感じていることだと思う。そりゃそうだよ。清廉潔白な正直者、愛人も作らなきゃ、収賄もない、でも、馬鹿は、政治家には向かない。
ただ、立花隆氏の名前が出た時の「失笑」は、悲しかった。だって、彼は私の最初の知的部門アイドル一号だったから。軽佻浮薄ミーちゃんハーちゃん寄っといでのあたいの青春時代は、ちょうどロッキード事件あたりから始まっていたように感じます。小学生の時が、日本列島改造論で土地の高騰があり、我が家は山を一つ売って生活がかなり楽になった。その後ロッキード事件が来て、私の誕生日あたりで角栄さんの辞任。院政を布いていた頃、おじいちゃん二人が出てきて、ほーほ―言っていたような。兎に角インフレと土地の高騰で俄かに、怪しく賑わっていた頃、まだ、おばさん顔じゃなかった立花さんが、注目され始まった訳で、何となく正義の人という認識とやたらと冷静に論破していく「頭良さそうだ~この人」と、頭悪そうな当時の私はすっかり憧れてしまったのでした。 確かに、立花氏は年を取ったなと思いますが、それは要するに私の青春時代もはるか遠くになったという事なんですね。 次回トークライブVol.2は10月3日の予定だそうですが、今から楽しみです。その間にもしかしたら・・・・・・・あるかも。

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2010年

7月

27日

一人の味方と100人の敵      2010    


受験勉強中の我が子と、毎日の駅までの送り迎えの車中いろいろと話合っています。
高校に入ってからの学校や先生方との意見の食い違い、自分の目標や夢の明確化や迷いで随分と悩んだり苦しんだりした1年前。何をすべきかを見つけだすには、何をしたいのかがハッキリと自分の中にイメージでき、更にコミットメントがどのくらい強いものなのかによっても、違ってくるのでしょう。 目的が決まれば、今日、今すべきことが自ずと分かってくる訳ですから。
受験に向けての計画は、随分と遅れをとっているのでかなりハードなタイムテーブルとなったようですが、時々は朝が起きれず1時間遅れで予備校に行ったり、思ったように教科がはかどらず寝る時間が無くなったりと、当然本人の計画通りにはいかない部分が沢山出てきます。モチベーションはしっかりもっていても、心が萎えたりすることだってあるでしょう。どうしても眠さに勝てず、居眠りをしてしまったりと自分との約束を裏切ることも。それだけではなく、他人からのいらぬお節介や、雑音、ネガティブな意見。心を惑わす物事は、至る所ににあるはずです。
それでも、たった一人の味方さえいれば、例え100人の敵が一度に押し寄せてこようと恐れる事は無いのだと、私は考えています。それに関しては、10年以上続けたバレエや水泳の練習、中学受験や挫折から随分といろんな事を学んできた子供も、少ないとはいえ今までの経験上、とても良く理解をしていました。 一人の味方、それは当然「自分自身」。 100人の敵に自分の人生を左右される事は、何とも理不尽この上ない。とはいえ、周りに一切影響されない、評価を気にしない人間は少数でしょう。家族を含め環境、コミュニティ、地域、国に一切とらわれない人を、私の周りで見た事が無いし、私自身も常に揺れ動いてしまう脆い心を、いつも抱えながら何とか日々を過ごしているわけです。
それでも、その脆さ危うさを胸に抱えながらも、どうにか一歩を踏み出すには最終的に自分の中の味方が、ゴーサインをだし、OKと頷いてくれ、応援してくれないとどうにも先へな進めないわけです。それは、逆を言えば100人がOKを出してもたった一人が、イエスを言わなければ何の進展も見込めないという事でもあります。 自分自身に責任を持つ。当たり前の事のようですが、全てを逃げずに真正面から自分に向かい合い自信を持って、その行動に責任を持つ事は非常に勇気がいることですが、人任せにするよりはよっぽど安全なのも事実です。他人に自分の人生のシナリオを書かせる訳にはいかないのですから。
100人を味方につけるも良し、敵に回すも良し。 でも、たった一人の味方を自分の中に持ちづつける事こそ、夢への近道だと思うのです。

 

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2010年

7月

03日

女心の舞台裏      2010

あるがままの自分を受け止めてもらいたい、このままの自分を認めてほしい、愛して欲しい。誰もが望む事ではないでしょうか。互いの良い所も悪い所も含めて、受け止めたい、受け止めてほしいと願っているはず。そのようなパートナーと出会えたならば、運命に感謝し、死が二人を分かつまで深い愛を誓うに違いないでしょう。 しかし、これがそう簡単にはいかないもの。 一瞬にしてそのような気持ちになり、相手を見極められる訳もなく、そこに至るまでには沢山の痛い、切ない、時には馬鹿げた恋のやり取りを繰り返しているはずなのですから。
最近のセミナーでも、女性ヴォーカリストが女性の気持ちを歌ったヒット曲をテキストに、女性の心理を知る試みをしてみました。
例えば、松任谷由実さんの「Destiny」。 振られた女性の気持ちを端的に表していて、例え一度も振られた事の無い女性でさえ、詩の中の主人公の気持ちは痛いほど良く分かるはずです。 振った男にまだ未練があり、必ず見返してやりたい。その為に見た目に磨きをかけて、ダイエットもしたことでしょう。ファションもメイクも隙なく決めて、彼と偶然(を装って)会う時を想定し、「あれ、あいつあんなにいい女だったっけ!」と見直させて余裕の表情、微笑みで「お久しぶり」と言うのだと決めていたに違いないのです。 さて、問題です。この後、彼女の魅力をあらためて見直し、彼がもしアプローチしてきたら、彼女はどのような態度をとるでしょうか? 「彼を振る。」 女性なら殆どの人がこう答えるのではないでしょうか?
充分に魅力的にふるまって、気があるそぶりを見せ彼がすっかりその気になったら、焦らすだけじらして「振る」。 勿論、もっと優しい女性がいるでしょうから、「やったー!」と受け入れる人も当然いるでしょう。 折角手に入れた「彼」ですもの。 これは私の勝手な想像ですし、ただ、私だったらそうするだろうと思うストーリーです。 冷たくされた男に同様の仕打ちをして、プライドを取り戻すだろうと。 綺麗になったのも、都会的なセンスを身につけたのも彼を取り戻す事より、自分のプライドを取り戻すことの方に重心を置いているに違いないと。 「麗しのサブリナ」を見た方なら頷いて下さるでしょうが、如何にオードリー・ヘップバーンがスタイリッシュにイデス・ヘッドとジバンシーの衣装を着こなし、可愛く純真に愛らしく身分違いの恋の逆転ホームランを狙って、切ない女心を演じたとしてもやっている事は結局、デイヴィッド役のウィリアム・ホールデンをその気にさせておいて、兄ライナス役のハンフリー・ボガードと一緒になる訳です。 女は可愛くて残酷。 あっさりと先週まで付き合っていた男の事を忘れることもできるし、その気になれば自分をどこまでも変身させて、優雅に復讐のツールとして見事に使いこなします。 ところが、男性ときたら「女性」が美しくなったのは自分の為だと思いこみ、勝手にその気になって次の展開「深い仲」になることを、想像してにやけるわけです。女性はいつでも、恋のゲームをしかける準備が整っています。 以前にも紹介しましたが、徳永英明さんの「恋をしてゆこう」の「昔の恋を普通に話してまだ僕を、試しているんだね?」(山田ひろし作詞)も、女性の特徴を本当によくあらわしています。元彼との写真をどこかに一枚ぐらいは、取っておくかもしれないし、ディナーのお誘いのメールもわざとらしく見せるかもしれない。女性は皆いじらしくて、可愛く従順なのだと夢見ている男性には酷な話ですが、AKBだろうとあどけない顔をしたタレント、女優、モデル、だろうと小悪魔のテクニックは早くから充分に身につけています。 本人が自覚せずとも。 「どのくらい私を好きなの?誰よりも好き?愛してる?証拠を見せて!」この答えを言わせる為に、あらゆる事(ゲーム)を仕掛けてきます。 それは言葉だったり、態度だったり、道具を使ったり。 厄介なこの女心のエゴイズムを、例え心の中で舌打ちしても大人の男としては余裕を持って立ち向かう包容力がなければ、理解も関係も次の段階へと進めないのです。 むしろ、女性はどれだけあなたに大人としての器量があるのかを図っているのかもしれなません。 嫉妬させたい、その反応が自分への愛と執着の度合いだと感じる女性を、満足させるのに、感心の無い返事や無視は彼女を傷つけるだけ。 ましてや、真剣に怒ったりするのは問題外。 それじゃまるで子供ですから。 そんなときは、大らかに受け止めて「さすがに、君はもてるんだね。当然だね。」「僕にはライバルが一杯いるんだね。負けられないね。」 と、背伸びをしてみること。 でも、それだけじゃあ全然足らないのが、厄介この上ない「女」という生き物。 男性が大人で包容力があればあるほど、更にもっと確かめたくなるのが恋する女心。 だから、この限りのないゲームを出来るだけ早く打ち切る為には、彼女を満足させてしまえばいいのです。 難しいことじゃない。 たった一言最後に付け加えればいいだけの話。 「嫉妬するよ。」 簡単な事です。 嫉妬して欲しいのだから、それを照れずに素直にそのまま口にしてくれれば満足なのです。
嫉妬される=私に恋してる、という方程式なのですから。 女心の裏側は男心とは違い、複雑で迷路のように入り組んでいます。「大丈夫、気にしないで」と言ったら、とても心配しなければいけないし、「分かったわ、あなたの言う通りかもしれないわ。」と言ったら、全く同意していないと踏んだ方がいいわけです。 一筋縄ではいかない女性とのコミュニケーション。 彼女たちの裏側にある言葉をしっかりと読み解かないと、また、痛い目に遭ってしまう訳です。
もっと、知りたかったら是非、次のセミナーでしっかりお教えいたしましょう。 

 

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2010年

6月

24日

男性の為のセミナー      2010

男性のセンスアップセミナー ダイアログ&聞く力


盛りだくさんで濃厚なセミナーも終了し、生かすも殺すも後は本人次第。 無責任な言い方かもしれませんが、一人の人間から出てくる言葉をどう受け取り、感じ、解釈し、活用するか否かは受け取る人次第。 こればかりは情報の投げてのコントロールは出来ません。
勿論、セミナーは体験を通して、その意味合い、理由付けをし、流れを考えてあちこちに投げての「企み」が隠されていますが、それに気づくかかどうかは、こちら側の力量もあるでしょう、が、受け手側の集中と想像力、参加度によっても全く違ったものになっていくと思います。
さて、イベントではその活用度合いをライブで見る事が出来るので、私にとってもハラハラドキドキです。 ただ、本音を言うと女性の為のセミナーも同時に開催すると更に、グループの間に共通認識、共通言語が出来、理解度はグッと増すのですが。 またの機会にその楽しみをとっておく事に致しましょう。

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2010年

6月

24日

メロン狩り&BBQパーティ リポート    2010 6月

本当に濃い内容で、メロン狩りとバーベキューパーティが終了致しました。遠方からも沢山の方々にご参加頂き、心から感謝をしております。 そして、楽しかった!美味しかった!めっちゃ食べた!もっと遊びたかった!と満足と喜びの声で一杯でした。
イベント終了後も、皆でお茶をしながら参加者の意外な、「魅力的」一面を垣間見る事が出来たり、主催側としてはやって良かったなーと思う瞬間でもありました。(次回は女子会もやります。) 一つの驚きと発見としては、農業に興味を持っている方々が多いという事。これは想像していたよりももっと、自然や土に触れる事を望み、そうすることで癒される人々がいると言う健全さ。ホッとさせられもしました。 現在、進めている「早苗ファームガーデン」を出来るだけいろいろな人に利用して頂き、交流を持ってもらえたら嬉しいですね。
大きなメロン農家さんで、どれが熟した美味しいメロンかレクチャーを受けたり、メロンを思う存分頬張ったり、自分のお土産用のメロンを畑から真剣に探したりと、田舎でのおだやかで、豊かな時間でした。ベンツ並みのハイテクのトラクターは、視界360度の高い座席で興奮。
改めて、田舎で過ごす時間はゆったりとして、24時間が全く違う流れなのだなと感じました。
私達が、現在計画進行中の農家を使っての計画は、昨日までの見知らぬ人々が交流の場を通して、互いの情報や思い、夢を語り積み重ねていけたらどんなにか楽しいだろうと考え、そうした「場」「空間」を一緒に創り出し、楽しめたら幸せだろうと想像しながら、何とか実現に向けて、日々奮闘しているわけです。 まだ見ぬ、細い糸で結ばれている皆様と、お会いできることを心から楽しみに、次々に計画練り上げております。 次回、ご参加なさる方との出会いを心よりお待ち申し上げております。

 

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2010年

6月

15日

出会い      2010

サッカーファンでもないのに、いい加減なものでカメルーンに勝つと一気にナショナリズム全開で、ゲームのルールもおぼつか無いのに、「本田すごいわ~」などと呟いてしまいます。 にわかファンがあちこちでサッカー談議に燃えているのかもしれませんね。


企画中のメロン狩り&バーベキューパーティも、あちらこちらから参加頂きとても楽しみになってまいりました。 人と人の繋がり出会いというものは、計画して自分の思ったように行くようなものではなく、意外な発展や不思議な縁に引き寄せられて、他者との関わりから新たな自分の発見や自己愛に目覚めたり、自覚したりする大切なチャンスとなるのではないでしょうか。 この一年にも満たない全くのボランティア活動で、既に何組かのカップル、成婚と成果が上がっているのは、当事者よりもむしろ、私の喜び、自己満足になっていると思います。 多分そうでなければ、飽きっぽいわたしが、朝方までパソコンに向かって、ひたすら情報を流す作業はとうに投げ出しているような気がします。昔は、こんなお節介おばさんが地域のあちこちにいたのだろうなと思いながら。いよいよ、本格おばさんの仲間入りをしたので、自分の立ち位置がはっきりしました。 遠慮なく「おばはん」全開です。
一期一会、もしかしたら、二度と会わない人たちかもしれません。 また、会わなくても一向に不都合がない人達かもしれませんが、それでもその一会を常にその言葉通り「その機会は一生に一度のものと心得て、(茶会の)主客ともに互いに誠意を尽くせ」たなら、全ての行動出会い、めぐり会いは何一つ無駄は無いと心得、粗雑にいい加減に対する事自体が、自分への対応そのものを意味するのかもしれません。 その事を、私も肝に命じて今ここにいること、生きている意味を丁寧に大切にとらえたいと思い、時々の虚無感と苛立ちを整え、襟を正そうと思っています。 最近のニュースに自分でも驚くほど、心が乱れ、どうしようもない虚しさを抱えてしまうことがあります。
それとは逆に、未来への希望に満ちた魂や真っ直ぐな眼差しに触れると、あっさりと立ち直り共に喜べるのも現実です。 ともかく、沢山の人達が出会い学び、成長していくその場に居合わせることは、一緒に居させてもらえることは、なんとも幸福な事。 心の底から、本当に感謝しています。 
さて、一生のうちどのくらいの「ありがとう」が言えるのでしょう。 死ぬまでの私の宿題。 

2010年

5月

29日

恋のスパイス ~ 男のセクシーさ ~   2010

 恋のスパイスについては、ユーモア、ジェラシーを書きましたが、今回はセクシーさについてです。 セクシーさ、いわゆるセックスアピールですね。 男女ともにこの魅力が皆無だとすると、相当自分の遺伝子を残すことは困難になってくるかもしれません。
もっと踏み込んで言うのであれば、自分の子孫を残す本能を持っているのであれば、どんな形でも異性へのセックスアピールがあるはずだ、ということです。 

まず、男性のセクシーさについて。 生命力の強さを見せつけ、出来るだけ生存競争に耐え得る遺伝子を持った男である事をアピールするのに、背の高さ、筋肉の付き具合、俊敏に動く能力、物を持ち上げるパワー、視力、聴力、嗅覚、触感、味覚、記憶力、観察力、洞察力、判断力、冷静さ、行動力、知識etc.・・・・・・ まだまだ、挙げだしたらきりがありません。 遺伝子によるものに関しては、どうにもならない事ですが、後天的にいくらでも身につけられるものもたくさんあります。 男性のセクシーさとは、全てではないにしても、如何に自分の種が優れているかのアピールでもある訳ですから、肉体的、精神的強さと魅力を強調する事が必要になってくると思います。 ダルビッシュッ有、イチロー、室伏広治、福山雅治、ベッカム、ロナウド、バラク・オバマと思いつくままに、有名人を書いてみたが、背が高く、指が長く、シンメトリーに近い(体の細部にいたってかどうかは、残念ながら調べられないのですが)いわゆる男性的魅力に溢れた、セクシーで、運動能力、瞬発力が高く、いかにも優秀な遺伝子を持っていそうな人達です。 間違いなく、街に放てば女性が群がるであろう男達。 動物行動学や遺伝子についての著述を多数出版していらっしゃる、竹内久美子氏の本の中にも沢山のもてる動物が出てきますが、隅々まで伸びやかに成長が行き届き(つまり、背、体、羽が十分に伸びきって、手,足,羽が長い)鳴く声が大きいとか、長く息を出来る、体力がある、巣を作るのが上手など、動物の一員である人間とも全く共通のモテ要素が他の動物にも同様にあるということです。 ちなみに、竹内氏は「左利きの男」に関しても触れていて、左利きの男は右脳が発達しており、テストステロン(男性ホルモンの一種)レヴェルが高く、よって生殖能力が高いと解説されています(オバマ氏、王貞治氏は左利き)。 だから、女性には結構左利きにセクシーさを感じると言う人が多いのも、これが一因かもしれません。
しかし、いきなり左利きになって、セクシーさをアピールしたり、必用もないのに運動能力を誇示したりする訳にもいかず、ましてや、背を高くすることは不可能です。 ならば、一般的には何が、そして、どこで自分をアピールすればよいのでしょうか。 日常の中での男の色っぽさはどこに潜んでいるのでしょう? 結論は、「至る所に」「あらゆる瞬間」「あらゆる状況」の中にあるのではないでしょうか。 
ワイシャツの袖をまくる仕草、ネクタイを緩める仕草、メガネのブリッジをを中指で上げる、車の運転、本を読んでいる時、笑っている時、ジョギングしている時、今は肩身が狭くなりましたが、煙草を吸う仕草と、兎に角女性たちはあらゆるところで「グッ」ときているのです。 これこそ、人によって全く違う感性を持っているので、それぞれ違う所を「カッコいい」「セクシー」「イケてる」と感じているはずです。 随分昔の話になりますが、「小さな恋のメロディ」を小学生の時に観て、マーク・レスター(M.ジャクソンの子供達の代父母としても最近話題に。)のあまりの可愛さに大ファンになったのですが、この映画の中で女の子達が(11歳の設定)お墓の秘密の集合場所でミック・ジャガーのポスターにキスをするシーンが出てきて、彼はセクシーよね!というような事をうっとりとしながら言っているのを見て、当時小学校4年生の私には、全く理解が出来ませんでした。 ミック・ジャガーと言う人についてはおぼろげに知ってはいましたが、どう見ても、どう勘違いしようとしても全く、好きになれないどころか、たらこのような唇に恐怖さえ感じていました。 だから、このイギリスのパブリックスクールの女の子達のセンスには、ついて行けずヨーロッパは、あんな不細工が格好いいのか?とビックリしたものでした。 (むしろ同じ不細工なら、共演のジャック・ワイルドの方が、よっぽどセクシーだ!と思っていました。) 何せ、当時の私のアイドルはクラーク・ゲーブルと王貞治選手でしたから。 
勿論、有名人は特別だとしても女性は、思わぬところにセクシーさを見出してくるものです。 普通の生活の中に潜む色っぽさは、本人が全く意識しないところにある事も心の隅に留めておい頂きたいし、意識してすると逆に、喜劇になってしまうかもしれません。 
日々習慣にしている事、得意な事、専門の事、仕事中、集中している時、楽しんでいる時、誰かを愛している時。 普通の何気ない仕草、言動の中にこそ、それは存在し、自信に満ちた喜びが、如何に沢山もっているか、経験しているかが、「男のセクシー」さの見せどころなのでしょう。

 

 

2010年

5月

28日

大人になる      2010

子供たちが、友達関係、恋話、学校問題で盛り上がって話しているのを聴いていると、吹き出したくなるほど幼稚だったり、ビックリするほど大人でシビアなものの考え方、見方をしていたりと、ゆっくりと大人への階段を上っている過程を見せてくれています。 子供から大人になっていく段階は、当事者も周りも、もどかしく時々はイライラし思うように行かない理想と現実の狭間で苦しみ、経験した事のない感情に戸惑い相談出来る友達も見つからず、悶々とする日々を経験したりもするのでしょう。
思えば、中学から高校時代は、常に自分と他者との間の取り方や自己顕示欲、自意識過剰、自己主張、思いこみ、勘違いを日々繰り返しながら、勝手に哲学していたと記憶しています。 カッコいい自分の理想と格好悪い現実の私。 受け入れがたいギャップに常に悩まされ、妄想の恋や、疲れる友達との関係づくり。 あれこそ確かに青春と言えるが、振りかえると青春って「格好悪かった」。 そして、私自身の事で言えばその格好悪い自分を受け入れた瞬間が「大人になった」時だったと思います。 高校の部活で問題が起き、毎日のようにミーティングや友達間で部室や近くのパン屋で買い食いをしながら、話合い、文句を言いあっていた時期がありました。 皆の前では、如何にも正当な意見を言ってはいるが、心の底で思っている事は、もっと自分勝手な、自己中心的な意見を必死で正当化しているだけの事であり、そのいやらしさは誰よりも一番自分が、気づいている事でした。 本当なら「私が、遣りたいようにやらせてよ!言う事をききなさい!」と言いたいだけなのです、単純に。 その矛盾を、どう処理していいのか分からず、学校から自宅までの自転車通学の間中ずっと自分自身による、自分自身の為の、自分自身の正当化を考え続けていました。 どんなに頑張ってみても、すっきりしない心を抱えながら、部活を止めようかどうしようかと悩みながら重いペダルを漕いで、家までの帰り道を憂鬱な気持の自問自答を繰り返していたら、突然天からのレスポンスが降ってきたのでした。 「お前は、我儘なだけだよ」と。 正当化に必死だった自意識過剰的理想主義少女は、あっさりとその言葉を受け入れ「ナルホド」と、馬鹿みたいにホッとしたのでした。 悩みから解放されたわけです。 「私は我儘なんだ。そういう人間なんだ。」 そう思った瞬間全てに矛盾がなくなり、苦しんでいたギャップはどこかへ吹っ飛び、許せなかった友達を受け入れられたのでした。 「あっ!今、私は、大人になったな。」と思った瞬間です。 自分は、自分が思っているほど、素敵でもなく、ずば抜けた感性と魅力にあふれている訳でもなく、ひらめくアイディアだって大したことはない。 欠点だらけで、嫌なところだらけだけど、それでも「わたしは、駄目なわたしが好きだ!」と、感じられ訳です。 「大人」というのは、勿論20歳を過ぎたら全員与えられる権利を意味する時もありますが、本当の意味でひとかどの、一人前の大人になるにはいろいろな段階を経て、やっと手に入れられる許可証。 もしかしたら、死ぬまで公認は得られないかもしれませんが、知識や情報を得るだけでは身に付かない、取得の厳しいライセンスです。 その第一歩が「自分の全てを受け入れ、正面から向かい合う事が出来る」という事。 これは中々に辛いものがあり、高い理想を掲げがちな若い時代には、達成できない自分を受け入れられず、自己嫌悪し挙句に社会に、他人にと恨みを持ってしまう事もあります。 出来なかった、上手くいかなかったのは、全て周りが悪いのだと。
そこから一歩踏み出して、大人の世界で踏ん張って生きていくと、更に違うステージがあり、グレードアップをさせてくれるカリキュラムが用意され、出会う人々がいるのです。 踏み出す前には想像もできなかった新しい出来事が待っているのです。 「大人」として振る舞い、生きるのは実に大変な事ですが、それ以上に収穫が大きい事を知れば、決して「大人修行」は辛いものでは無くなるのではないでしょうか。 

 

2010年

5月

19日

もてない男、続かない女(2)     2010

(2)続かない女

付き合っている男性と長続きしない、女性からの相談事NO.1かもしれません。都会と田舎では結婚を望む独身男女(20代~40代)の状況が違うかもしれませんが、田舎では「選ぶ」のはほぼ女性側の権利と言っていいようです。 男女の数が圧倒的に違うのです。 なので「もてない」私と言うのは田舎においては少ないのです。 
告白してきた相手を好きかどうかは別としても、全く申し込みが無いという女の人は、少なくとも私の周りでは皆無です。 それが、バツ一もしくは、バツ二の子持ちであってもです。 年齢も女性ならば50代でも、望めば結婚相手を探すことはそれほど大変なことではありませんが、男性だと限りなく0%に近いのが実情です。
女性がYESと言えば、直ぐに付き合いが始まりますが、問題は3回目以降のデートです。 ここからが、女性にとっての正念場。 スタートはさほど難しくなくても、会うごとにメッキは剥れ無理は続かず、相手に求める事のみ多くなり、年齢が上がれば上がる程他者と比べ、条件を並べ始める。 20代最初の頃のように、経験値が低ければ、以前にも書きましたが少しあやふやで、非現実的な「恋愛」の夢を持っているが故に、幻と錯覚のうちに結婚の節目までたどり着けるかもしれませんが、結婚が恋愛の延長線上にない事を実感としてリアルに分かってくると、条件を厳しく出してきたりします。 夫の両親との同居は無理、子供は一人、仕事は続けたい、もしくは止めたい、となれば年収はXXXXはほしい、務めている会社のランク、自営は嫌、農業なんて論外など。 圧倒されるほどそれぞれが、それぞれの条件を列挙して来るわけです。 気持は分かりますが、条件を満たす人を待っていても、白馬に乗った王子を待つのと同様、決してそんな100点満点の人がやってくる事は無いし、どこかに実在していたとしても今度は、相手が選ばないかもしれません。 長続きしないのは当然なのです。 ドアをどんどん狭くして、相手を締め出せば去っていくことになるのは自明の理。 考え感じなければいけないのは、一体相手とどういった状況を築き上げたいのか、相手にしてもらえる事ではなく、相手に出来る事は何なのかという事だと思うのです。
心理学での結婚適齢期は「独身生活が最も充実した時」だと言います。 自分の中の不足分、不満足、不十分を他人の力、存在で補おうとすると必ずバランスを崩すことになります。 他人によって欲求を満たしてもらうことは出来ない、と腹を括る事が出来れば、何をすべきか、どの状態が自分にとって心地よいと感じられるのかがか具体化して来るはずです。
長続きする事がいい事だとは言いませんが、本当の意味で他人を知るにはやはりある程度の時間が必要です。 知る、知ってもらう為の忍耐と客観性と思いやり。 これを鍛える事は、自分への挑戦かもしれません。

2010年

5月

19日

もてない男続かない女 (1)     2010


相談事のトップ5に確実に入ってくるのが、今回のタイトル。 「俺(僕)もてないんですよ。結局デートに誘っても断られるし、もし、一度デート出来ても次が無いんです。アドレス交換してメール送っても、無視される事の方が多いんです。」
もてない理由は、いろいろあるでしょうが、第一に見た目。 既に常識となっていると思いますが、人は見た目で8割~9割をその人の「印象」として記憶し、脳のカテゴリー(ランク、イメージ、好き嫌い)の中にしまいこんでしまう。 その引き出しを再び開けさせ、違うもっと上のランクの引き出しに入れ直してもらうには、かなりの努力が必要なのです。 悪印象を挽回しようと無理やり引き出しをこじ開けようとすると、大概の引き出しは更に軋み、開ける事を拒みます。 だから、シチュエーションがパーティ会場、結婚式場のお呼ばれ、イベントの参加、旅行先での出会いなど、一発勝負の場では見た目、第一印象が全てになってくるのです。 これは、まるで訪問販売の営業みたいなもので、最初の言葉遣い、笑顔、声のトーン、雰囲気、相手のタイプを察知する鋭い能力でドアを開けてもらえるか、インターホンで冷たく断られるかが決まります。 「もてない」のは営業下手と言ってもいいかもしれません。 自分を営業すると考えれば、商品を如何に良く見せるかが腕の見せ所。 その大切なポイントをないがしろにして、相手(客)に無理やり商品を認めさせ押しつけ買わせるのは、悪徳商売。 客が(自分から)買ってみたい、使ってみたい、試してみたい、見てみたいと思わせられれば、売り手と買い手の関係は理想的な状態になり、その後のネゴシエーョン、コミュニケーションに大きく影響して来るわけです。 「もてない」=「買い手がつかない、興味を持ってもらえない」ならば、埃だらけで店頭に飾ってある商品を丁寧に磨き上げ、目を引くコピーを考え、客に良く見えるような場所、位置を考え、アイデアをしぼるのは当たり前でしょう。 財布のひもを緩めさせるのはそう簡単なことではないように、心を掴むには面倒がらずちゃんと努力しないといけないわけです。 自分を商品と見なすとは随分と乱暴な言い方もしれませんが、日常のあらゆる場面で「売り込み」をかけなければならないシーンが出てくるはずです。 時には穏やかに、時には激しく、そしてある時は熾烈を極める場面もあるでしょう。 だからこそ、人間関係に疲れて生きる気力さえ無くすこともある訳です。 自分自身から離れる事は出来ず、大切で愛しているからこそ、その価値を認めてもらい、同じように愛してもらいたい、そして叶わない思いに苦しむ。 この繰り返しの中から、商品(自分)の本当の価値を見出し揺ぎ無い自信と、アピール、上手な営業を獲得していくのではないでしょうか。 プロの営業マンになるには、まずは数をこなす事、ターゲットとマーケットリサーチ、セールスストラテジー、これに尽きると思います。  つづく→(2)続かない女

2010年

5月

11日

オーラ      2010

オーラという言葉が頻繁に使われるようになったのは、いつ頃からなのでしょうか。 テレビ番組が始まる大分前から、日常的にオーラがあるとか、~のオーラを感じるとか言っていたような気がします。
専門的なオーラの見方、感じ方は別として生命のエネルギー、その雰囲気を動物の本能として感じる事は誰にでも出来るのではないでしょうか。 同じエネルギッシュさも、源が私利私欲に駆られたエネルギーの放出と、自分自身の中で十分に満足があり、溢れる愛情やパワーを誰かの為に使いたいという思いで放出されるエネルギーでは、自ずと違ってくるはずです。 勿論日によっても、事によれば時間によってもオーラは違ってくるでしょう。 自分自身のオーラを、輝いていると感じる時と、くすんでしぼんでしまっているように感じる時といろいろだと思います。

ところで、自分自身のオーラをどのように意識していらっしゃるでしょうか。 これは、とても大切な事だと思うのです。 バイオリズムにも関連してくるとは思いますが、少なくとも今日の自分、今の自分の状態をちゃんと感じて、過ごすとリズム、スピード、選択も客観的に判断出来るかもしれません。 更には、自分のイメージするセルフイメージオーラがあれば、もっと一日はダイナミックなはずです。 負のオーラは論外として、例えばあまり気が乗らない集まりや、ミーティングに自分が扉を開けて入っていく時のイメージを、シミュレートしてみましょう。 もし、あなたがドアを開けて入った瞬間に、周りがあなたに注目し、まるで爽やかな一陣の風を感じるような、もしくは暖かく輝く光が部屋中に射すようなオーラを、イメージする事が出来れば、ドアノブの握り方さえ違ってきます。 どんな設定、環境でも空間を作り出すムードや流れを変えることも、オーラの力を借りる事によって変化させ、作り出すことが可能なのです。 それは、日々の経験の中でもいくらでも例を挙げる事が出来ると思います。 一瞬にして、澱んだ流れを変える事の出来る人、もしくはその人がいるだけで安心でき、和やかになる、このような人を一人や二人、思い浮かべる事が出来るのではないでしょうか。 そして、その場を作り出す「その人」が自分であったら、どうでしょう。
朝起きた時に、ホンの数秒でいいですから今日の自分を演出し、インプレッションのオーラをイメージする事にトライしてみてはいかがでしょうか。 誰もが、表現者であるのですから、その日の自分をオーラを使って演出していくと、実に愉快で豊かな一日の始まりとなるはずです。 

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2010年

5月

07日

夢見るリアリスト      2010


GWも終わり、それぞれが休日を楽しんだり、仕事だったり、仕事を探したり、学校に行く気が失せたり、やる気が出たり、新しい出会いがあったり別れたりと、たかだか1週間の間にも沢山の出来事があった事でしょう。 私個人としては、子供を持ってから休みは常に子供の為にあるようなもので、今年もバレエのコンクールに付いて行き、レベルはバラバラでも「兎に角バレエが好き」な人達の集まりの中にいました。
勿論私も見るのが大好きなので、一日中観ていても飽きないのですが、さすがに長い間プロも含めて結構な数の舞台を観る機会があったので、素人目にもコンクールに出てくる子たちの板に付くまでの間に(定位置に歩いてくるまで)どの程度踊れるのかは見当がつきます。 正直これは上手そうだと思えば身を乗り出して真剣に観ますが、最初の一歩が緩いともう観る気が失せてしまいます。(バレエでは常に足先は重要なポイントで、きれいなアーチを描いていて、アンディオールし、美しいアキレスを見せている状態が望まれます。)プロのダンサーを見れば直ぐにわかる事なのですが、ひとつひとつの動きが磨き抜かれていて、隙なく美しい。 たゆまぬ努力の積み重ねで、そのすべての動きが一朝一夕に出来るものではありません。 コンクールに出てくる何人がプロとしてやっていけるのかは、わかりませんがそれぞれの目的の途中にいる事は間違いありません。 つまり、必死の努力をしているプロセスを、舞台で見せてくれているわけです。
これ程期待に胸躍る事はありません。 スターになる前の輝く才能に溢れた卵達を、間近に見られるのですから。 これは、どの世界においても共通する事かも知れません。 ビジネス、スポーツ、芸術、学問、研究、いかなる世界でも日々の努力を重ねていくことでしか、得られないレベルがあり、達成の度合いがあり、見えてくるものの違い、目標の違いが出てくるはずです。 
長い時間電車に揺られながら、子供と久しぶりにいろいろな事を話し合い、特に小さい頃の思い出話をじっくり聞きました。 当時の事を少し書き出しますと、小さい頃から習い事をさせていたので、小学校に入るころには、一週間の殆んどを習い事に費やすようになっていて、学校のお友達とは殆んど遊ぶこともなく習い事から習い事への梯子で、私はまるで二人のドライバーのように、スケジュールに合わせて、一日中、事によったら夜中まで車を走らせ、または、電車に乗せひたすら送迎とお弁当作りに明け暮れていました。 当時はステージママのようなつもりでいたのかもしれません。 ただ、その状態が二人にとって良い事なのか、何か大きな事を見逃しているのではないかと、常に不安になっていたのも確かです。 子供の一日のスケジュールとしたら、異常なのじゃないかと。 後々、大きなしっぺ返しが来るかもしれないと思いながら、その時がきたら受け入れるしかないと覚悟をしながら、半分は自信がもてず綱渡りをしているような気持で、日々を送っていたわけです。 子供に、どう思っているのか聞いてみました。 もっと、学校の子達と思いっきり遊びたかったのじゃないか、遣りたい事、行きたい場所が他にもっとあったのじゃないかと。 そして、それが出来なかった事を後悔、もしくはさせてくれなかった事を恨んでいるのじゃないかと、尋ねたわけです。 すると、私にとっては、意外な答えが返ってきました。 「全く後悔していないし、自分の子供にも同じことをさせるだろう。もっと、厳しくやらせるかもしれない。」と。 理由は、例えばバレエに関して言えば、「小学生の頃は遊びに行く感覚で、レッスンもいい加減に楽しければそれで良かったが、目的が出てきてもっと上手になりたいと思うようになり、教室を変え環境が一変し、周りの生徒達のレベルや目標設定の高さに刺激され、練習をすればするほど、自分に足らないものがハッキリと見えてきた。 コンクールは自分の位置がどの程度なのか冷静に見られるし、目標になる。 いい加減にやっていた頃は、客観的に自分の能力を見出すことが出来なかった。 だから、ありえないような夢を見ていたし、しかもそれを叶える為の努力もしていなかった。 それを知る事が出来ただけでも、習い事に費やした時間は、十分な価値がある。 あの厳しい時間が(スケジュール的にも)私を大人にしてくれた。 あれがなかったら、未だに甘い夢を見るだけの緩い精神力しかなかったと思う。」と言い切った子を、まじまじと見てしまいました。
正直、この言葉程大人な訳ではないのですが、いや、凄く幼稚な精神構造をしていると親は知っている訳ですが、この言い切りこそが睡眠時間を削りながら何とかこの十数年間をやり繰りしてきた自信なのだ、と感心してしまったのは事実です。 ただの子供自慢になってしまいそうで恥ずかしいのですが、アー成る程と思わせられたのは、リアリストこそが夢を追いかけるのだと気付かせられた瞬間だったのです。 ナビゲーターに現在地と目的地を入力するように、経験値が高くなり、自分を客観視出来、情熱に突き動かされている時でさえ、冴え冴えとした冷静さと、物事を俯瞰して見られる判断力が出来てこそ目的地までの位置関係を知ることが出来る。 また、ロマンチストでありながら恐ろしいほどリアリストでもある、これは、人間としても魅力的なはずです。
人との交流、コミュニケーション、アプローチにおいて中々自分の思うように行かない、と悩んでいる人達の話を聞くときに共通して感じるのは、一つにはある意味経験が少ない事、自分自身に関心を向けているようで、ポイントがずれている事などであり、自分自身の悪いところだけを見たり、逆に好きじゃない所を一切受け入れなかったり、良いところを探せずにいたりと様々ではありますが、何か他人の目から見たらセルフイメージに随分とギャップがあり、見ている場所、見方がずれているように感たりもするのです。 多くの経験と努力を経て、磨きぬいた技は人々を感動させるように、日々積み上げていくその日常の細々とした事、思いを大切に積み重ねていく事は、人としての魅力につながり他人を「前のめり」にする程の引力を、作り出してくれるのでしょう。 
夢見るリアリスト。 常に、成りたい自分、成りたい状況を夢見ながら、リアルに今を受け入れていく事は、目的地にたどり着く大切な地図を描く為の条件なのかもしれません。

 

2010年

4月

24日

至福の時 ~戸澤哲夫ヴァイオリン名曲コンサート~ 2010


4月24日のコンサートも無事に終わり、正直ホッとしているところです。結婚式場のチャペルでの初のコンサートで、一度もこの地で開催したことのないクラシック音楽、もちろん演奏者お二人のファンは沢山いらっしゃいますが、地元のお客様がどのくらい来て下さるか全く見当もつきませんでした。 それでも、私の中に確固とした動かぬ自信があったのは、この場に足さえ運んで頂ければ必ずやお二人の演奏を好きになって下さるに違いないという、戸澤哲夫さん、小川由希子さんへの信頼と、作り出す音楽の完成度の高さ、揺ぎ無さ、そして美しさ。
音楽は聴く人それぞれの世界へ、一瞬にして連れて行ってくれるものです。 私の記憶の中で最初に西洋音楽に圧倒されたのは、映画「ヴェニスに死す」の冒頭、ダーク・ボガード扮するアッシェンバッハ教授が、ヴェニスに船に乗ってやってくるシーンです。 この時流れているのが「マーラーの交響曲第5番第4章アダージェット」。1971年に完成した作品ですが、私が見られたのはそれから少し経った中学生の時で、レンタルビデオもDVDもない当時は、どうしても見たければ都内に出て行くしかなく、封切り時は小学生でこの映画の情報さえ知らなかったはずです。
ところが1976年に監督のルキノ・ヴィスコンティが亡くなり都内でヴィスコンティ映画祭が開催されたと記憶しています。 たぶんそれを、映画雑誌で知り、今見に行かなければ一生見られないような気がして、必死の思いで映画館に駆け付けたような気がします。もう、どこの映画館だったか全く覚えていませんが、入れ替えなしだったので、満員の客席で座ることもできず、一回目は通路にチラシを敷いてスクリーンに釘付けになっていました。 オープニング静かにキャスト、ディレクターの文字が浮かびバックにこの上もない美しい旋律が流れていました。 それは圧倒的で音楽がこんなにも心を揺さぶり、行ったこともない西洋の地を懐かしく、悲しく、愛しい気持ちで感じたことはありませんでした。 まるで、前世はイタリア人だったのじゃないかしらと、とんでもない勘違いをして、夢見がちの「乙女」(当時)はうっとりと遥かな西洋に強い憧れを抱いたわけです。 得も言われぬ美しい曲が、マーラーの曲であるのはずっと後から知り、あれはマーラーからの甘いラブレターだったのだと、クラシック音楽を勝手に理解していました。 
あれから、随分時が流れクラシックについての教養も造詣も一向に深くなりませんが、聴いた者すべての空気を包み込む「音楽」というとてつもない力と、魅力には更に惹きつけられているのは事実です。
24日のチャペルでのコンサートは、手探り状態での開催でしたが、グリーンパレス飛鳥の方々が、私の呟いた一言に疑いもせず新しい事への挑戦と、リスクを恐れず準備と開催に一丸となって下さった事を、本当に心の底から感謝してやみません。
そして、決して十分でない会場で演奏をして下さった、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団コンサートマスターの戸澤哲夫様、ピアニストの小川由希子様の素晴らしい演奏と、沢山の行き届かぬ事への忍耐に感謝しています。
更に、お客様にも十分な配慮、サービスが出来ず申し訳なく思っていますが、これに懲りずにまたいらして頂けたら、今度はもう少しリラックスして聴いて頂けるよう、努力したいと思っております。 それでも、あらゆることを許して下さって最後まで楽しんでいって下さった事を、感謝いたします。 クラシック音楽ファンの方、初めて間近で聴いて下さった方、ライブはめったに聴かない方といろいろな方々がいらして下さいました。 皆様がそれぞれに、「音楽」を楽しみ思い思いの印象や思い出を作っていってくださったら、企画したものとしてはこれ以上の喜びはありません。 ただひたすら、感謝の気持ちでいっぱいです。

「音楽をきくたのしみは、包まれ、抱擁され、刺されることの純粋なたのしみではなかろうか。命令してくる情感にひたすら受動的であることの歓びではなかろうか。いかなる種類の音楽からも、私は解放感を感じたことがない。」(小説家の休暇) これは自意識と自己顕示欲の権化のような三島由紀夫がエッセイの中で書いている、音楽に対する思いですがこれは逆に言えば、もし単純にその純粋な楽しみに身を任せる事が出来れば、これほどの喜びと幸福はないということを言い表してもいます。
三島は純粋でありながら、ひねくれ者でもあったから、このような表現をしていますが、実際は音楽のとてつもない力を知り、感じ、だからこそ恐れていたのでしょう。 自分でさえコントロールできない感情を音楽が呼び覚ましてしまうのですから。

 

2010年

4月

24日

ヴァイオリニスト 戸澤哲夫様スプリングコンサート感想

東京シティフィルコンサートマスターヴァイオリン名曲コンサート第一弾
東京シティフィルコンサートマスターヴァイオリン名曲コンサート第一弾

音楽が如何に人を幸福にするか、昨夜のコンサートを通して改めて感じました。 結婚式場の敷地内にある、小さなチャペルで、初めてのクラシックコンサートの開催。 私が呟いた(生ツイッターです。)一言から、このコンサートの企画が始まりました。 このご時世、結婚式だけでは式場は維持費を賄うのに相当の営業をしなければ、やっていけません。それは、地方のどの結婚式場でも抱えている、問題と悩みなのではないでしょうか。当然、都会の一流ホテルでも営業と企画、サービスの充実と改革を常に挑戦していかなければ、人件費、メンテナンス、宣伝費がお化けのようにかさむだけでしょう。 人が集うには「何か」目的がある訳ですが、その目的を集う人達だけに任せて成り立っていたのはバブル期の話。 そこの場に集いたい、そこでなければ得られない何かを作り出し、発信していかないとすっかりと忘れられた存在になってしまいます。 詳しい事情は、HPのブログに書くとして、ともかく昨夜の「戸澤哲夫ヴァイオリン名曲コンサート」は、観客の感動の弾けるような音が聞こえるほどの素晴らしさでした。 実際、名曲ばかりをあのような空間でまじかに演奏者の息遣いを聞きながら聴く事の贅沢と喜び、想像もしなかったことの発見、そして感動。 ツゴイネルワイゼンからアンコール曲マスネのタイスの瞑想曲への流れの如何に大変なことかは、後から戸澤さん本人から窺って、やっと分かったのですが、それでもこの名曲ばかりのプログラムは、開催「最初の地」ではどうしても外せない、でも、当然のことながら誰にでもできることではない技術と技量の高さでした。 如何に曲を深く理解し、自分の持てる技術と感性を研ぎ澄まし磨き上げ、高みへと孤独な戦いを続けている人達から伝わってくるものの熱さと感動、喜びはライブが一番なのだと、何度も何度も感じたのでした。 すべてに感謝する夜でした。 今この時も幸せな時間の記憶が消えずにいる事、これこそが音楽の力であり、芸術の強さなのだなぁ、と照れずにいえます。 
食事会では、「のだめ」の裏話(戸澤さんは、“音”でコンマスとして映画に出演してます。是非、聴いて下さい)などで盛り上がりました。

 

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